質疑

 グループホーム若い女性の職員さんが質問をする。「グループホームを持ちたいという夢を持っています。その夢を実現するにはどうしたらよいですか?」
 「いろいろ出してから話し合います」と言われたので私も手をあげた。
「私は『たたかうおばあちゃん」を書いています。この話し合いでよくわかりました。今まで知らなかったことがわかりました。私の今の一番の関心は『放火殺人事件』で介護職の女性が自宅に放火し、母親が死亡した事件です。その人の家族関係が育ての親で婿養子というのが、私と重なるので、何故?と思いました。自分は介護職でお金を稼ぐに専念し、そのお金で母親をプロにまかせればよいと思っていました。でも、今日のお話を聞くと、プロを雇えませんね。給料が10万では無理ですね」
 そのとき、司会の長谷さんが「『たたかうおばあちゃん』を読んでいます」と言われたのでびっくりした。言った覚えも出会った覚えもないぞ。何なんだ?
 下村さんが「夢」に答える。「夢は持てない。『小規模有料老人ホーム』と思ったほうがよい。自己負担で利用する人を増やす。パートでないと雇えない。働く方は10年先が見えないと結婚もできない。うちは国家公務員ベースは守っているが、自分がパートになって、若い人を常勤にしたいと思う。夢と現実がこんなに乖離している制度は無い。去年から介護報酬が引き下げられ、真面目にやっている施設ほど減収になったのだ。事故についても『家におってもこけるときはこける』と言いたい。グループホームは夢のような施設と思われても困る。『寄り添え』『受容』というが『わからない』と言っていい。『1日中、こんなふうに歩いている、この人の気持ちがわかりません』と言っていい」
 とてもよくわかる。そうだ。家にいてもつまづくし、こけて骨折する。もう一人が発言し、講師陣が補うと、中村大蔵さんが「夢を持つ人に水を浴びせることばかりだ」と言われた。ほんとだ。かわいそうだ。
 次は介護家族が発言する。認知症のお母さんを介護していて、4箇所の施設を経験し、どこも失望と怒りがつのる。たとえば、事故はしかたがないが、事後処理が悪い。説明を求めるとうそをついた。きちんと対処してもらえば、すんだことだ。
 それに対し、プロの女性が涙ながらに「どうして救えないんでしょうか?」と言う。「つらいです」と言われる。違うよ。あなたが「つらい」と言っても解決しない。
 また私が手をあげる。「そんなに、つらい、つらい、言わなくてええです。家族にもいろいろいます。まず施設から『利用料金が足りない』と言われた。次は渡すときに目の前で数えるとか、銀行振込にする手があるでしょ。別のトラブルで別の施設にかわり、こけて骨折した。家におってもこけるし、けがをするでしょ。子供の担任とけんかしてどうなりますか。自分が先生に合わせればいいんです。まず自分が施設の人と信頼関係を結べばいいんです」何か、今までの自分の発言と違うなぁ。これも事実。だって、対立してどうなりますか?涙ぐんでていて、解決するんですか?「つらい」なんて言わなくていいです。私は困ったときは直談判します。そのときに誠実に対処してくださればいいことです。この介護家族の方もその都度、誠実に交渉してきて、それでも相手に通じないんです。ま、そういうこと。
 あとは省略する。中村さんが「今のような議論をそれぞれの地域でなされているか?が問われる。地域住民の参画が解決へのステップ」と提案された。これが問題だ。うちの地区は遅れているからなぁ。とにかく「重い」現実であった。
 まとめの長谷さんは「ホームページに書きます」とのこと。探そう。