「ぼけの人を包む、家族、人、地域、社会」

認知症を通じて心を考える」大井 玄先生
 全国研究集会の基調講演をされた大井玄先生のお話だ。東京大学名誉教授、医学博士。
1.私達とはなにか
 自分とはなにか。いのちのつながり。呼吸によるつながり。時のつながり。場のつながり。
2.認知症への怖れは自己認識により異なる
 尊厳死協会のアンケート調査。
 人類文化に認められる二種の自己観 
  「アトム的自己・・自己と他者とは画然と切り離された存在だ」これは主として西欧と北米の文化に見られる
  「つながりの自己・・自己と他者とは切り離すことができないつながりを持つ」その他の地域で主流
 自己観の違いによる認識の違い
  「アトム的自己」観では、痴呆になることへの恐怖は「自分が自分でなくなることへの恐怖」
  「つながりの自己」観では「周囲の迷惑になるという恐怖」
3.認知症は病気か老化の表現か
 (1)正常と異常  アメリカの文献は変だ。1975年にはアルツハイマー病は50万人だったのに、2000年には500万人になっている。皆がこの病気の存在に気づき始めたからか?また精神科の教科書には「65歳の5%がアルツハイマー病、その3倍は軽度痴呆。80歳の20%がアルツハイマー病、その3倍が軽度痴呆」とある。すると80歳の80%が認知症ということになる。これは「アルツハイマー病」というレッテルを貼る行為自体が間違いだ。宇宙の絶対基準としての「生病老死」があれば、脳の機能の低下は自然の表現だ。高齢者の知的能力を測るテストも「見当識」「短期記憶」「計算能力」などは現代の忙しい社会で暮らすには必要かも知れないが、90歳になりもうすぐ宇宙に戻ろうとする人にとって必要だろうか?
 (2)病気とはなにか
 病気とは「気を病む」本人にとって苦痛がある状態。認知能力が落ちても、安楽に苦痛なく暮らす状況があれば「病気」ではない。沖縄の佐敷村では敬老思想が強く、高齢者は誇りを持ってくらすことができ、問題がない。
4.認知能力低下に伴う適応・・認知症の三段階
 (1)純粋痴呆(単純痴呆)という存在
 (2)認知症の三様相・・自己防衛的審理作用の視点より (い)被害妄想・性格変化 (ろ)回帰人格 (は)コトバのない状態
5.認知症は幸せな状態でありえる
 (1)安心できるケア体制は可能
 (2)認知症にはがんの恐怖と苦痛がない
 (3)認知症の終末期に実存的不安と恐怖がない
6.まとめ