夫は

 夫は、最初に読んだとき家で「『民生委員の夫の縁でまるちゃんと知り合う』って、民生委員って書かんとってほしかったな」と言う。「『夫も優しく見守る』っていうのも、いらんなぁ。ええかっこ、書きすぎや」とも言っていた。
 でも、飲み友達は「だ〜れも、わしのこと、言わへん」のだ。無視というのではなく、そこまで関心が届かない。なんのこっちゃ。
 また「福祉センターが隣にある、って恵まれている、と思われる」とも言っていた。それも気付かれない。
 反論する。
 民生委員だからって、感性が鋭い人ばかりとは限らない。「まるちゃんのおだいどこ・オープン」(おだいどころ、という名のつどい場を自宅でする)ちらしだって、介護者の集いの参加者30人に配っているのだ。中で「これはよさそうだ」「うちの嫁さんと気があいそうだ」と気付いたのは、夫一人だったわけだ。まことに人の縁とはこんなものだ。
 総合福祉センターが隣接地主の件も、隣だからって親しくなるかどうかは、わからない。ボランティアに行く人は少数だし、「施設がとなりはいやだ」と言う人もいる。うちは家族全員が何の抵抗もなく、つきあってきて、夏祭りにも参加して遊び、知的障がいのある人達の施設にたのまれ、畑を貸してあげて技術指導もしてきた。ばあちゃんは「あの子ら、かわいいで。『ばあちゃん、見て。芽が出た』『ばあちゃん、見て。こんな、大きいなった』言うて、見せに来るねんで」と言っていた。診療所ができたら、自分も患者になり『掃除のおっちゃん』や『付添婦のおばちゃん』たちと友達になり、野菜をあげていた。おばちゃんたちは休憩時間にやってきて『えんどう豆1000円分』とか買ってくれていた。こうしたつきあいがあったから、ばあちゃんがデイサービスとステイを利用するようになっても、顔見知りの職員さんがたくさんいたのだ。ばあちゃんは気にしなくても、私はしゃべりやすい。相談もしやすい。(なに?「むこうはこわがっている」って?あはは。ごめんね)境遇を有利に利用するかしないかも、その人の気持ちしだいだ。