私の番

 右手にマイク、左手にばあちゃんの写真。こんにちは。これが「たたかうおばあちゃん」です。今年4月に芳林社の社長川上さんが取材に来てくださり、カメラマンの大東さんが写してくださいました。ばあちゃんに見せると「わたしです〜」と言います。これも家で話をしているおばあちゃんです。次は私の写真ですが、ばあちゃんは「わかりません」(会場で笑い声。しめしめ)「娘を忘れても生きていけます」(あはは)
 「ベターケア」にのったのが嬉しくて、近所の人に見せました。「ばあちゃん、かわいいやん」て、私から見れば見当はずれですが、さっきの牧里先生のお話にあったように、近所が味方についてくれました。ばあちゃんは家の前の道を平気で渡り「危ないやん」と言うと「はよ、死んだらええがな」とにくたらしいのですが、友達が「大丈夫、ばあちゃんを見ると赤信号。徐行するから」と言ってくれます。(あはは)その前からも「たたかうおばあちゃん」を本にして見てもらっていたのですが、本にのってからは、まわりの空気が温かくなりました。ばあちゃんがどこかに行っても知らせてくれます。
 ばあちゃんの行く施設の人にも見てもらいました。「初めてばあちゃんの生きてきた道を知った」と言われ、5年もかかってか?!と思いますが、本のおかげです。
 在宅介護を支えるという点で言いたいと思います。
 一つは物理的に利用回数ですが「ばあちゃんのいない時間を買う」という意味ではとれています。もっともショートステイが月の半分しかとれないのはしんどいですが、それは国の基準とかで、また別にします。
 もう一つは、家でのくらしにつながる支援内容かというと、それは足りません。デイに行って興奮したまま帰ってくると、私が困ります。
 ショートステイもそうです。ばあちゃんはすぐに怒ります。ばあちゃんは耳が聞こえない、目も近視なので人の顔が見えにくい。聞こえない、聞いても忘れるという立派な理由があるのですが、わかってもらえません。「不穏でした」と言われます。あるときは「普通の人は相手が男の人だとひるむのですが、ばあちゃんはそれがありません。むかっていってなぐられました」とか「職員が気づいたら止めるのですが、気づかず沸騰しました」と書かれました。私が「ばあちゃんは、やかん、か?」と書きますと、どれぐらい後か忘れましたが、連絡メモが廃止になりました。(ここで笑い声。おかしさをわかってくれたんだ)
 皆さんに提案があります。今すぐできてお金もかかりません。目の前のおじいちゃん・おばあちゃんの笑える話を探してください。何かあるはずです。笑えば、じいちゃん・ばあちゃんも笑ってくれると思います。ブログも書きましょう。携帯メールの打てる人ならブログは書けます。「じいちゃん語録」「ばあちゃん語録」「ヘルパーは見た」何でもかまいません。(壇上で筆記できないので、メモはあるにしても記憶に頼るだけ。言ってないことも、言っても忘れたこともあるに違いない。そのへんはごかんべんを。主旨はこういうことなのです)