介護者のつどい

 社会福祉協議会の地区(分区という)の「介護者のつどい」だった。年に3回あり、1回目は「障がいのある人の地域サークル」のメンバーも参加する。何度もあっているから顔見知りになった。
 まず、そのサークルの指導者のお兄さんがゲームをして「班分け」をする。7人の班が4つできた。あとから、一人来て、うちの班に合流した。
 うちの班のメンバーは身体障害のある方、お母さんが老健に入っている方、奥さんを介護している方、自治会の方、民生委員の方、地域包括支援センターの方、であった。
「あんたが司会しい」と言われた。しゃべるのはうるさいぐらいだが、公平なる司会者には向いておらんのだ。しかたなく、初対面の方に「たたかうおばあちゃん」コピーと「紫陽花の会・ご案内」をさし上げる。ベターケアの「たたかうおばあちゃん」はこんなときにちょうどよい。3ページなので、もらったその場で読めて、写真のばあちゃんを見れば「元気だなぁ」とわかる。しまった、焼き付けた写真の束を持って行くのを忘れた。いつも忘れるんだ。
 身体障害のある方は、ここに移ってきて、まだ4年だそうだ。一人でくらし、ヘルパーさんに来てもらったり、近所に住む妹さんの助けを借りておられるのだと話された。楽しい方だった。
 時間が来て、それぞれのグループで出た内容を発表する。「障がいのある方」を含むグループは、まず、その方たちがどのような毎日を送っておられるのか、から話を始めたようだ。ボランティアとして活動している方も多いから、聞けば勉強になると思う。
 あとはちょっとゲームをして、用意してくださったお弁当を食べながら、また話の続きをした。

 「介護者の集い」に参加するようになってもう5年だ。この会で、まるちゃんこと丸尾多重子さんと知り合った。
 最初は「現役介護者はたった3〜5人、介護経験者も『何かアドバイスを』と言われて参加してもあとがしんどくて続かない。まわりを囲む何とか委員や役所の人ばかり」と感じた。それを率直に発言して、ムード、ぶちこわしたこともあった。
 今も「現役介護者は、つどい、どころじゃないのよ。時間がないのよ」と思う気持ちは変わらない。でも、それを文章にしてネットで発信したり、冊子にして介護真っ只中の人にさしあげたり、地道に一人ずつ話を聞いたりしているうちに、徐々に道は開けてきたし、利用している施設の方とも、話し合ってばあちゃんにとって「いごこち良い施設」になってきた。
「障がいのある人たち」と「介護者」が交流してどういう意味があるの?と思った時期もあったが、回を重ねると徐々になじみもでき、私のゆとりもできてきたようだ。
 さいごに「かってに介護者があつまり、紫陽花の会をします」と宣伝すると「行きます」と言ってくださる人も出てきた。「話し合う」ことの積み重ねで道を開こうと思う。