ばあちゃんの居場所

 それにしても、認知症の人の介護は難しいし「ばあちゃんは、どんな感じ?」と訊かれても、説明は難しい。
 「あなたにバスで偶然会ったときに『たたかうおばあちゃん』をもらったの。それを同じように介護している友達に見せたの。いつも何か悩んだり、愚痴も言う人だったけど、読んだら『へぇ〜、こんな考え方もあるか』と言ったわよ」と言われた。大成功だ。「次は送ります」とその人の住所を聞いてきた。
 「ばあちゃんは、どれぐらい、施設を利用しているの?」に始まり「家に帰っても夕方になると、また『帰ります』と言うんです。『どこへ?』と訊くと『上』と言うの」「家よりも施設がいいの?」「そうではなくて、朝から家にいる日曜日は『帰ります』と言いながら、布団に帰るし、デイから帰った日はまたデイに帰りたいみたいで『車が迎えに来る』と言うんです」
 すると、メンバーの中に私の小学校時代の恩師がおられて「合っている。家にいたら、ずっと家、施設にいたら、ずっと施設、という理解のしかたで、ばあちゃんの心が安定する」と言ってくださった。家と施設を1日に行ったり来たりするほうがしんどい、ずっといたら、そのほうが自分の居場所になり、心が落ち着く、ということか。なるほど、説得力はある。
 しかし、そうもいかなくて、行ったり来たり、で暮らしていかなければならない。「老健ならいつでも入れる」と昨日の人は言うが、そこは遠くて運転のできない私には面会に行けない。ばあちゃんに対応するのに、スタッフがかなり長い期間を費やしているのを見ると、今の慣れた施設に入れてもらいたい。今日も「5年前に申し込んで、100人待ち。なのに、なんで今も100人待ち、なんでしょ?」と笑い話で終わった。