このやりとりに参加

 今日は「たたかうおばあちゃん68号・岸川先生の講演」を、ばあちゃんの行く施設に届けるのだ。もう製本はした。この手紙は参加してくださったプロスタッフに失礼がないか、確かめるため、念のため、他の参加者にファックスで送った。
「問題ない。優しい表現になっている。『入所させたら家族が来ない』場合にはいろいろある。私のところにくる人は『施設に入れてもらったら、冷暖房完備、穏やかな暮らし。でも、ばあちゃんの本来のいきいきした表情が消えてしまった。私の顔もわからない。悲しくて行きたくない』そう言って泣くのよ。職員はそういう家族にも寄り添って、ケアマネやなんとか福祉士なら、気持ちを汲み取る感性を持たなきゃ」
 発言の本人は夜に電話をくれて「朝、ファックスをもらったときは、ずいぶん、なまぬるい!と思った。でも、今日は梅谷さんと米田さんの講演がよかったし『聞いてください!わかってください!』と思いのたけを言うと、ちゃんと受け止めてくれる人だったから、すももの文の優しさも許そう。
 親が認知症になった時点で、自分のすきなこと、やりたいことは、3つのうち、2つぐらいはあきらめる。そして介護をする。定年を前にして仕事を退職してしている人もいた。夫婦が別居してそれぞれの親をみている人もいた。それを聞きながら『こうして家族と暮らせて幸せ』ってどういう神経?と思った。な〜んにもわかってない」
 
 ふ〜ん、難しいところです。これも温度差かも知れないが、もともと「自由にものを言わない。物言えばくちびる寒し...」の地にあって「言おう。学ぼう」と言う人がこれだけいるというところで、うれしくなっている私と「たたかうまりもちゃん」の差があるよ。その会でも、まりもちゃんたち南部のメンバーが来る前に「約束は2つ。ここで自由に話したとこをよそに言って話さない。プライバシーを守る。もう1つは私語をしない」と念を押すぐらいの慎重さ。
 しかし、しかし、プロを呼ぶときは十分に気をつけて、介護者の気持ちを逆なでする発言があった場合は抗議する必要がある。かつての私はしていたが、このごろは油断があった。これで「たたかうおばあちゃん」の「たたかうすもも」は怖い、と思うのでしょう。