「おむつはずし学会 in 西宮 2007」から「かいご学会 in 西宮 2008」へ

 「去年と今年の違いは何ですか?高口光子さんはなぜ来ないのですか?」とケアマネさんが訊く。
「話せば長いわけがある」
 8日の「介護分科会」打ち合わせで
「高口光子さんは『利用者は選ばないが家族は選ぼう』といわれたでしょう。あれはあんまりです」と実行委員会スタッフ言う。私が「冗談でしょう」と言うと「意外と、ほんね、じゃないかと思う。聞いている会場がどっと沸いたのが許せない」
 
 あ〜、あれね。それは私が「県ケアマネ研修会」で講師・そうまんかよこさんが「富山型デイサービス」を説き「制度が足りないと思ったら思うことをどんどんやろう。制度はあとからついてくる」と言われたのには質問も反応もしないのに「ケアマネの給料は税金から払うべきだ」と言われると、一斉に拍手をする、この主体性のない集団に怒ったのと同じではないか。

 戻る。高口さんは「パネラー打ち合わせ」の段階から「利用者は選ばないが家族は選ぼう」と言っておられた。その発言は危険だと気づいて止めなかった私たちに責任がある。高口さんは「すももとは闘わない」と言われた。私も「私も」と返した。高口光子の小気味良い語り口が好きで、機関銃のごとき早口でまくしたてるのが好きで、聞きたかったから止めなかった。
 私はジョークとして聞いた。笑ってしまって、「それはおかしい」と思わずにいた。会場も沸いた。
 あとでアンケートを回収し、介護職つまりプロが「家族の話が聞けてよかった」と書いたのがとても多くて「おいおい、それはないやろ?日常、目の前の家族の話を聞いてないのかい?つながりはないのかい?」と思った。私が思った以上に、実行委員会スタッフはこたえていたわけだ。初めに気づいて打ち合わせで止めるべきだった。壇上の私は笑ってしまったし「おかしい」と気づいた家族もこの場では言い出せないほど、いつもいつも気を使って生きている人たちだったのだ。「人質」をとられているのだもの、言いたいこともじっと我慢するのになれている。
 会場が沸いたのは、いろいろある。「高口門下生」や「追っかけ」組は勉強もしているし実践しているかも知れない。勉強はしても職場の雰囲気で実践できなくていらいらしていて、せめて高口発言を聞いて癒されたい、という人もいるだろう。その人たちは聞いて笑ってスカッとするが「いや、これはジョーク。ほんとは選んではいけない。家族と手をつなぐのだ」と思い直すだろう。
「美瑛・ほの香の常識は西宮の非常識。西宮の常識はほの香では非常識」と切ってくれる安永道生さんが言う「うちらあたりの介護職」は「これでいいのだ」と思ってしまう。それがこわい。介護職にもいろいろ、だ。
 どの世界にもあること。私も若い頃「毎月の参観日に来て懇談会にも来てくれる保護者の方はいいが、足を運んでくれない人は困る」と思っていたもの。どこにも事情がある。一概には言えない。申し訳ない、思い上がりであったと反省している。