朝日新聞・天声人語 9月2日

 〈谷川の岸に小さな学校がありました。・・・さわやかな九月一日の朝でした〉と、宮澤賢治は書き出す。夏休が終わって子どもたちが登校してくる。そして教室の机に、赤い髪の転校生がぽつんと座っているのを見つける。
 山の子らは、突然やってきた都会風の転校生に驚いて泣き出してしまう―ご存じ『風の又三郎』の冒頭である。名作を思い出しながら、きのうの夏休み明け、突然いなくなる先生に泣く子はいなかったかと心配した。こちらは大分県の学校の話だ。
 この春から教壇に立っている21人が、不正に合格したとして採用を取り消される。うち一人はすでに、夏休み中に辞職した。ショックを受けた子もいるだろう。さわやかさとは程遠い2学期の始まりである。 
 去った担任に、ある児童が「またこの学校に帰ってくるもんね」と手紙を書いたと聞いて、胸が痛む。自主退職は明日が期限だが、だれも自分では口利きを知らなかったという。周囲と教委の罪は小さくはない。
 9月1日の教室には、夏と秋がゆきあうような、不思議な空気がある。子ども心にも夏の終わりは寂しい。そんな感傷を先生の姿と声が断ち切って、新しい楽器への意欲がさざめき出す。子どもの季節を回すのに、先生はなくてはならない存在だろう。
 『風の又三郎』の先生も、〈むかしから秋は一番からだもこころもひきしまって、勉強のできる時)だと話して、季節を回した。不正のウミを出し切りつつ、子どもたちへの影響を最小限にとどめる。県教委に課せられた前代未聞の宿題である。