私の「つどい場さくらちゃん・北海道・車椅子の旅」再度

 初めての旅は、まるちゃんに何度も誘われ、ことわりきれずについて行った。娘が住んでいた北海道を見たいという物見遊山だった。ヘルパーさん・ケアマネさん・無職の人、いろいろいて「まじくった(混ざった)旅がいいのだ」と言われていた。おもしろかったから、はまった。そんなものだ。うちのばあちゃんとは違うタイプの人を見るだけで勉強になった。
 2度目の旅は側さん・高橋ガイドさん・小林ドライバーに会いたくて行った。つよしじいちゃんの車椅子を押しておもしろかった。それだけ。だから「サポーターとして行った」わけではないのだ。
 3度目からがあやしい。このときは、しずかばあちゃんと歩くのに、やっとこさだった。手を離すとどこかに行ってしまうが、口が達者で掛け合い漫才を楽しめる。
 4度目はつねあき君を「お風呂介助ボランティア」に誘った。そして「サポーターさんにお礼」なんてもらい「もらうわけにはいかない」としてそのお金で「旅日記」をコピーして配った。
 今回が5回目。これはもう「車椅子8台、40人」と聞いた時点で夫と共に「助っ人」になる気マンマンで、結果として「仕事」になってしまった。だから破綻した。燃え尽きた。「お礼」は「これでコピーして」とまるちゃんに寄付した。お金をもらってサポートするなんて、しんどすぎる。遊びだからできる。同じ料金で行くからできる。オプションなんていらない。オプションを用意してくれたから参加したし、楽しかったが、元からオプションがなくても旅には行くのだ。
 「盛りだくさんの企画」は要らない。一つ一つに充分な時間のゆとりがほしい。数を減らしてもいい。夫もつねあき君も、早苗パパと明美パパを温泉に入れてあげたかったのだ。2日目も「ホテルTAITO」に5時に着けば、夕食をそのままホテルでとれば、ゆっくり温泉に入れてあげられただろう。「風曜日」でも「貸切だから女性でも介助に入れる。安永さんに介助実技を習いたい」と言う声を聞いていたので「我々もパンツはいて介助せんと、女性に失礼やなぁ」と言っていたのだ。それが一人も覗きにも来なかった。拍子抜けした。残念でならない。これもゆとりがなかったからではないか?
 企画数は減らしてもよい。ホテルに早く着いてゆっくりしたい。ゆっくりお風呂に入れてあげたい。朝、集合してから「写真を撮ります」なんて言わないで、前夜から「明日は出発前に集合写真を撮るので、〜時〜分に集合して下さい」と決めて予告する準備がゆとりを産む。
 「サポートされすぎると疲れる」という気持ちはわかる。でもそれを乗り越えて「ありがとう」と言って受ければいいのじゃないの?その方の介護にかけては「プロ」なんでしょ?私たち「しろうと」がすることなんか、しれているやん。
 私なんか弟妹に甘えっぱなし。近所の人に助けられっぱなし。教え子にいたわられ、甘えっぱなし。施設のスタッフさんに甘えっぱなし。しかたないやん、今は。そのうち、いっぱい社会にお返しする日が来るとも来ないとも言えないけど、しかたないやん。甘えたらいいやん。助けてもらえばいいやん。
 旅の楽しさはバスの中。今回は高橋さんとまるちゃんの掛け合い漫才がいまひとつ不発であった。25人乗りの中型バスでは前のガイドさんと後ろのまるちゃんの声が皆に聞こえる。40人乗りの大型バスでは聞こえないから盛り上がらない。こんなときはまるちゃんが最前列幹事席に陣取り、側さん挨拶・まるちゃん挨拶のあと、高橋さんにバトンタッチ、あとは二人で2本のマイクを握り、皆に聞こえるように漫才やってほしい。普段、さくら会のクリスマスではまるちゃんが司会をするのだから、できるのに、どうしてサービスしないのだ?
 また延々と批判を書いたというわけで、皆に無視・敵視されるだろうね。
 私は「北海道に行ってきてん。車椅子の人も一緒やってん」という「さりげない旅」がええねん。「ボランティアで行ってん」と言うと「ほ〜、それはご苦労さん」なんていややねん。知らない人はそう言うのだ。それがしんどいのだ。「一緒に行ったらおもろいで〜」がええなぁと思うのよ。