悪戦苦闘

 「傾聴」とは自分が気遣われていることを感じる喜びと安心を与えることらしい。
 私には向いていない。いつもいつも自分のことばかり話している。こういう実技はまったくの苦手。
 書いている今、思うのも「援助者」「利用者」という言い方が嫌い。
 話がかみ合わないのが面白いし、悪戦苦闘ぶりが面白い。だってあいては「認知症」でしょう?それが特徴だよね。もっとかわいく「ぼけばあちゃんなら、これぐらい言うさ」とうけとめてあげよう。
 「死にたい」と言われて「長生きして」と言うてもあかんやろ?粟野先生の答えは「死にたいのですか」と受け止めてあげたら、相手は「私の言うことをわかってくれた」と思い、安心するということだった。
 そうすれば繰り返し「死にたい」「死にたい」と言わなくなるのだろうか?言わなくなればよいが、繰り返すなら、もうきっぱりと話題を変えて後戻りしないことではないのかな?言えば言うほど、どんどん底なし沼に落ちていくこともあるから気をつけよう。明るく引っ張り上げてあげよう。ね!ますます、傾聴には向いていないでしょう?や〜めた。