「フォーラム」でわかったことを乱暴にまとめると

「宅老所・グループホームがよいケアができる」と言われても、うちの近くには無い。遠くにはあっても、利用料は高いらしい。また定員が10名では、あきが来ないので待っていられない。つまり「いくら、良いと言われても、利用できない」環境にある。
 それに「少人数だから良いケアができる」とは限らない。そんな単純なものではない。ばあちゃんが今、利用している施設のスタッフの方と協力して、困ったら一つずつ解決していくのが良いと思い、やってきて、今はうまくいくようになった。それを私は言いたいが「そんなの、すもも式、特殊な例。他はさんざんなのだ。それがわが市」と蹴られてきた。言い過ぎか?これで「あんたは誤解されやすい」と言われるなら仕方がない。
 「宅老所やグループホームが無い。利用できる施設は今一つ質が悪い」そんな中で悪戦苦闘している家族のために、まるちゃんは「つどい場さくらちゃん」を作ったのだ。いまではプロのスタッフとして施設やその他の場所で悪戦苦闘している人もやってきて、泣いたりわめいたり愚痴を言ったりして「まぁ、うまいもん、食おう」と言うまるちゃんの号令で、食べたり飲んだり笑ったりして、また力を得て明日へ戻っていくのだろうし、家族も立ち上がり、介護を終えた人やら介護中の人までボランティアに加わり、やってきた。
 それでも、分科会で「所属」を問われ挙手する中に「家族の人は?」はなかったし、と言って週に1回の助手で「障がい児の教育」関係なんてとても言えないし...「悔しいから何か発言してやろう」と思っていたが、そこまで至らず、また司会者も会場からの発言を求めず、あえて発言する人も見当たらず、武内孝仁先生式の「隣に座った人に声をかける」「初対面の人と友達になる」もできる雰囲気でもなく...悔しいが硬かったなぁ...まわりの雰囲気に負けるのがだめだろうけど。
 だから西宮に「まるちゃん」が必要なんだろう。

 「最後までおってよかったよ〜。難しいから途中で帰ろうかと思ったよ。最後のゆきさんの話でやっと頭の中がつながったよ〜」とまるちゃんに言うと「いつでも何でも最後が一番いいのよ」ですって。最後まで気力が持たない人にも、もつようにするのが主催者でないのかい?腕の見せ所と思うがなぁ。
 参加費が高い。プロなら「経費」で落とすんだろうなぁ、だから、おとなしく聞いているだけなんじゃないの?自分で払ったら、だまってなんか聞いていられないよ。言いたいことが山ほどあるから来ているんだよ。
 最後のまとめで「必要なサービスが受けられる市とそうではない市の違いは?」と聞かれた大森教授が「自業自得です。そんな市長を選んだ市民が悪いのです」とバッサリ斬られて...そうかぁ!なんて納得しているのだから、だめなんだろうなあ。
 これがはるばる行って、自分で見て聞いた収穫であった。やっぱり自分で行かんとなぁ。