講演会続き

 難しい「薬の話」はおいといて
 岸川先生は「質問があったらすぐに言って下さい。あとでと思うと忘れます」
 岸川先生の認知症の講演はよくわかる。今までで最高だと思う。
 ところが今の医学界や医学会では異端らしくて「孤独を感じます」と言われる。「また愚痴ってしまった」と言われる。遠慮せずどんどん愚痴って下さい。
 医者からもらった薬について質問が出る。
 岸川先生が「こんな種類の薬」と紹介すると、会場の人が「それを飲ませたら、夜に寝てくれませんでした」と言うと「それが副作用です。これから話す予定です」
 別の人が別の薬の話を言うと「その医者は代えなさい」と言われる。私が「医者がいないです」と言うと「探して下さい」と言われる。「遠くてもですか」ときくと「育てて下さい」と言われる。「それは難しいです」と言うと「薬を使って疑問が出たら、お医者さんに言って下さい」と言うすぐあとに「かかりつけのお医者さんと喧嘩したらダメですよ」と言われる。矛盾しますよ。「育てよ」と言ったり「喧嘩するな」と言ったり。
 まあ、そういうところはなかなか面白いが、具体的な薬の名前になると、経験がないからチンプンカンプンなのだ。
 なんか、ばあちゃんが死んでしまって、居心地悪かったのだ。もう介護してないという立場と、ばあちゃんがあまりにあっけなく死んでしまって「苦労してないやん」と言われそうな、人間て「隣の芝生は青い」気持ちがあり、なかなか同じところに立てないんだよ。「一人ずつ違うから利害も違う。本音は言えない」部分があるかも?
 でも今日は、むくむくと力がわいてきた。「紫陽花の会」のメンバーには「行けないから代わりに聞いてきて」と言われ、まだ私にもできることがあると思える。講演を聞いても、質問して、話を深めたり、違う面に目を向ける方向もある。
 時間オーバーして先生の話が終わり、質問した人がいた。具体的な例だが「時間がない」と司会者が切ってきた。切ったらだめだよ。「あとで個人的に」と司会者が言うが、あれは個人的な話ではない。岸川先生は話を聞くなり「それは入院による一時的な精神錯乱です」と言われた。それには「おっ!」と思う。これだけ聞いただけでわかるなら、すごいと思う。だから個人的な話ではない。質問者は講師を試しているのだ。同時に会場を試している。「介護のプロよ、どうするのだ?」