「女が職場を去る日」沖藤典子著 1979年 新潮社

 沖藤さんは昭和13年(1939年)生まれで、私より10歳先輩になる。私が勤めていたときも、10年先輩の方と親しくしていて、今も手紙をやりとりする。10年年上というのは人生の先輩として大切な存在だ。
 沖藤さんは、昭和36年に北海道大学文学部心理学科を卒業し、東京の株式会社日本リサーチセンターに入社された。ご主人の転勤、お父さんの病気と死、など、いろいろ大変な年を経て、昭和51年3月に退職されている。
 私も昭和46年から勤め、56年に退職した。私は父母と我々夫婦の4人で4つの車輪であるから、その1つがだめになったら辞めるつもりでいた。やめて農業を継ぎ、社会参加のボランティアをしながら、今もいろいろ変なことばかりしている。
 沖藤さんは「人それぞれに一生に二度とないであろうと思うほどの大変な時期」があり「職業と看病と家庭の問題が三つどもえにからまりあった苦境の日々を忘れてしまいたくない」と思い、記録を書かれた。そして「最近の女性の職場進出にともない、家族をかかえて働いている多くの女性の中には私と同じ問題にぶつかっている方が多いのではないか」と思われた。
 それが発表の機会がめぐってくる。退職後、ご主人の待つ札幌に帰り、北海道大学の聴講生になる。また、PTAや「母と女教師の会」の役員、死の消費者モニター、二つの同人誌に参加、とかいろいろな活動をされている。やっぱりな。じっとしているはずがない。
 そして同人誌「開かれた部屋」の創刊号から4号まで、1年間にわたり「重たき日々」のタイトルで連載される。新潮社からの出版は昭和54年である。
 このお話はそれこそ「そうだろうなあ」と思うことばかりで、身近な問題である。当時は結婚して退職、もちこたえても出産で退職、それをまたもちこたえても親や家族の病気で退職、という時代であったと思う。それをまたもちこたえて、長く勤めてこられた方は本当に大変であっただろう。(辞めた私が言うのは失礼であろう)
 勤めていくのを支えるものが少なかった。
 沖藤さんはその後? この出版で各地から講演の依頼があったり、活躍されている。
介護保険は老いを守るか」(岩波新書)をご覧下さい。
「ベターケア」の最新号の対談に高見澤たか子さんと出ておられたが、10冊以上買っていた最新号は、気がつくと配ってしまっていて、手元に無い。おかしげな感想しか書けなくて申し訳ない。