「特別支援教育」

「Governor‘s Monthly Letter 2011年2月号」に「第13回『学習障害児(LD)理解のための基礎と実践講座』」が載っています。これは今年の1月16日に神戸市で開催されたもので、一般・ロータリー関係者・保護者・ボランティアを含め、1100名もの方が参加されています。
 私は昨年の夏、芦屋川ロータリークラブ主催の講演会に参加させていただきました。講師の杉山登志郎先生は「発達障害の子どもたち」という本を出されています。(講談社現代新書 2007年)
 私は1971年に中学校の教師になったときから1年半、知的障害のある人たちの担任をしていました。盲・聾・肢体不自由児・知的障害児の児童・生徒には専門の学校がありました。普通校に通う知的障害児には一部の学校に障害児学級があり、本来の校区以外の広域から通学していました。
一方、家庭の事情で知的障害児の施設に入りたいときは学校に「就学猶予または免除」願いを出して入所するという制度であり、学校とは縁が切れていました。
「私たちも学校に行きたい。卒業証書が欲しい」という児童・生徒の願いと親の希望・施設職員らのたたかいがあって、「施設内学級を作って先生を派遣」という制度ができ、私もそういう教師の一人でした。「生活」の場である施設に「教育」が入ることによって、生徒達の意欲と努力は目を見張るものがあり、明るい未来が開けたものと思います。
 その後は「養護学校義務化」という流れがあり、「養護学校」がどんどんできました。施設に入っている児童・生徒は、その校区の普通校に「障害児学級」ができて通うようになったり、スクールバスで遠くの「養護学校」に通うという形で、私の知っている施設の中の学級はなくなりました。
 現在は、私が住んでいる西宮市には、各小中学校に特別支援学級があります。知的障害・情緒障害・難聴・肢体不自由などの障害別に設けられています。
 私は10年足らずで退職したので、自分の子どもが通う中学校で、ボランティアを始めました。特別支援学級のクラスの行事を手伝いました。調理実習が主でした。生徒が菜園で栽培している薩摩芋を料理したり、自宅から渋柿を持って行って干し柿を作ったり、餅つき機を持ち込んでお餅をついたりしました。3学期にはそのクラスが以前から「雛祭りお茶会」をしていることを知り、お茶の先生と一緒にお点前を指導しました。当日は母校の小学校の特別支援学級の先生や児童の皆さんを招待したり、生徒の交流学級の担任の先生・校長先生・教頭先生・教科の先生・保護者の方をはじめ、お世話になった方々をもてなし、3年生は「卒業の挨拶」をして締めくくりました。これは15年たった今も続いていて、皆が心待ちにしています。
 「特別支援教育」が大きく変わったのは、2006年で、普通学級にいる発達障害のある児童・生徒に早くからかかわり、援助していこうという流れであろうと思います。学習だけでなく、適切な人間関係を教えてあげて、社会に出てからつまづくことがないようにという視点です。
 「発達障害に気づかない大人たち」(星野仁彦著 祥伝者新書 2010年)
をお読みになればわかると思います。本の帯には「『片付けられない』『すぐキレる』『話を聞けない』・・・子どもたちのことではありません。あなたのことです!!」とあります。そして前書きには「私こそ発達障害者なのです」と告白されています。星野さんは興味や関心のあることには人並みはずれた集中力や執念を発揮するが、身の回りの管理ができない子どもだったそうです。現在は奥様に生活の管理を任せ、自分は心療内科医という仕事に没頭しておられます。