最後にしたくない 唯一の特養様変わり/3キロ圏一時帰宅

 (2011年8月27日 読売新聞)市民福祉情報・オフィス・ハスカップより
 東京電力福島第一原発事故から5か月余り。原発から3キロ・メートル圏内への住民らの一時帰宅が26日、ようやく行われた。しかし、原発近くの一部地域では長期にわたって立ち入り禁止が続くとみられ、再び戻って来られる日がいつになるのか、人々は不安を抱えたまま一時帰宅を終えた。(高貝丈滋)
 午前11時40分、大熊町にある特別養護老人ホーム「サンライトおおくま」の利用者家族、職員らが乗ったバスが広野町に設けられた中継地点を出発した。
 施設は原発から約1・7キロ・メートル南西にある。3月11日の震災直後、停電で暖房が使えなくなり利用者110人が、毛布にくるまりながら、夜を過ごした。翌日午後、原発で水素爆発が起きた。入所者たちは、小学校、工場の食堂など避難先を転々とし、今は県内19施設に計64人が分かれて暮らし、家族の元に引き取られたお年寄りもいる。
 大熊町や周辺自治体で原発から3キロ圏の外にある他の高齢者施設では、住民らの一時帰宅と共に立ち入りが認められる中、ここだけは一歩も立ち入ることが出来ず、5月に予定していた施設を運営する法人の決算も出来ずにいる。
 震災後は施設として休業状態が続き、震災前にいた職員の大半が解雇され、度重なる移動の疲れもあったためか、入所者も8月24日までに14人が亡くなった。今回は、入所者の多くが要介護者で、本人に代わって家族ら28人が職員ら5人と現場に入り、午後3時半頃中継地点へと戻ってきた。
 母(81)とおば(91)が入所していた大熊町、会社員加藤直人さん(58)も参加した。母は現在も避難した古殿町で生活しているが、おばは避難後に亡くなった。今回は、そのおばの写真を持ってきたという。
 加藤さんは「避難と死因との因果関係は分からないが、事故さえなければと残念だ」と話した。
 施設長の池田義明さん(63)は、公印や証書書類を持ち帰った。
 立ち入り前、「これが最後にならないことを祈りたい」と話していた池田さんは「施設は、利用者もなく、様変わりしていた。地震でいろんな物が倒れ、足の踏み場もなかった」と声を落とした。
 政府は、原発から3キロ圏を念頭に、長期間にわたって立ち入り禁止措置を継続する方針を固めている。
 おじ(86)が入所していた大熊町、無職吉田恵美子さん(62)は「バスの中で線量計が上がったり、原発の煙突が見えるとやはり恐怖がよみがえった。私も大熊町に帰りたい気持ちは強いが、現実的には戻ることはできないのかもしれない」と話した。
 老人ホーム「サンライトおおくま」から荷物を運び出す入所者の家族ら(26日午後1時14分、大熊町で)=永尾泰史撮影