お葬式

 ご近所の「隣保」のおばあちゃんがなくなったので、お通夜とお葬式の手伝いに行った。それでブログが書けなかった。
 おばあちゃんはもう90歳を過ぎていたので「大往生」と言える。
 久しぶりに自宅でお葬式をした。通信手段のない昔なら、男衆は二人一組で「飛脚」に行き、お葬式を知らせる。昔は近隣の村から嫁さんを迎えることが多く、歩いても行けたのだろう。帰ってきて、火をたいて、お通夜の客を迎える。女衆は家からお米を持ち寄る。そのための端切れを集めて作った「米袋」があった。その家の野菜を使って煮物や和え物を作り、家の人や手伝い衆も食べたのだ。葬式の別れの膳も準備した。男衆は墓掘りもする。
 そんな時代の名残で、女衆は今もお通夜と葬式の別れの膳を作る。普段はあまり作らない精進料理だ。
 男衆は今は「飛脚」に行かないし、暖房は缶入りの固形燃料がある。受け付けのテントは葬儀社が張ってくれるので、町内会のテントを張って、椅子を並べるぐらいだ。祭壇の組まれた座敷には町内会の座布団を運んできて使う。
 私はその家とは親しいので、親戚にも知り合いがたくさんいる。ご飯をすすめながら、話をする。なんか半分は楽しいお手伝いなのだ。
 許してもらおう。「故人がつむぐ人の縁」だから。
 「萩咲いて故人がつむぐ人の縁」となりのおばあちゃんも、うちのばあちゃんも萩の咲く秋だった。