「紫陽花の会」

 今年初めての会。一昨日に「たたかうおばあちゃん会報101号」がコピーできて、今日から渡す。
 親の世代をお世話している人が「聞いて!こないだ、夫が、ね!」とプンプンしながら言うと、ご主人をお世話している人が「そういう悩みがあるんですか?」と言われた。
 親を世話するのと、連れ合いの場合は違うのですよ。一人で連れ合いを介護していると、手伝ってくれる人が家にいない。親を二人以上で看ていると、主になる人に任せてしまいがち。「あと一人いる!」のだけれど「いる!だけ」ということもあって、つい、いらいらしてしまう。
 うちの「たたかうおばあちゃん」だったら「ばあちゃん、寝てるから、ちょっと、見とってな」と言って、私が畑に行くと、着くなり「ばあちゃんが、起きて、出て行ったで。畑に向ってるで」と電話がかかってくる。「見とってな」が「見る」だけなんやもん。「つかまえとって」言うても、それは無理。
 それで友達とは「約!一人!よね!」と言って笑うことにしている。「一人!」いるとは、とても言えないのだもの。
 お連れ合い介護だと、一人で何もかも・・・しないといけない。しかも、待った、が無い。いずれ、私たちも連れ合い介護、そういう時代が来ます。
 また「おじいちゃんは毎朝、おばあちゃんの顔を蒸しタオルで拭いて、乳液をぬってあげて、髪をとかして、椿油を塗ってあげて、おばあちゃんは『さぁ、お出かけしましょ』モードになる」と言われる、お嫁さん世代に、感激している奥さま方には、ちょっと順番が入れ替わって、奥さんを介護する夫の立場になられた人たちは、かいがいしく世話をやくものなんですよ、と申し上げたい。今まで家庭を顧みず、仕事に没頭していた人が「罪ほろぼし」とばかりに必死に介護する。「お返し介護」と言うかな?いや、「つぐない介護」か?「お返し介護」は逆に、妻が夫に「昔は私たち母子を顧みなかった」と「お返し」する方だったか?
 「4月から、会費も会則も会の役員も決めて発足しよう、と言うけれど、ほんとは、きちんとするのは苦手なんだよ。適当な性格やもん。だんだん、イヤになってきた」と私が言うと、「それは得意な人にやってもらったらいいやん」と言われた。「それでは、どこが面白くて、この会に来てるん?」ときくと「介護を聞ける場がないものね。笑って話せて、勉強になるから」と、単純明快だった。「介護者、というと、今まで、たたかうおばあちゃんの応援団だった人が、引くんだよ」と言うと「私たちはそれも聞きたい。介護してない人や、若い、子育て中のお母さん達の話も聞きたいのよ」と言われる。
 ふむふむ、そうか。介護だけしていると、世間が狭くなって、それもいやだよね。いろんな人のいろんな話が聞きたいよね。私も、ばあちゃんから逃げるように、中学校に行ったり、友達と出かけたり、していたもんね。では、また続けようかなと思う。