なんでそうなるの?

 ぞっとします。在宅はしんどい。
 紫陽花の会員は「大変ね、と言われても、ちょっとずつ悪くなったから、これが当たり前。別にたいしたことない」とか「主人は別に手がかからない。ポイントさえ、抑えておけば」とか「主人が倒れてどうしようと思ったけど、生きててくれて良かった」とか、である。
 入院すると「会いに行くたび、悪くなってる」と落ち込み、落ち込みながらも一生懸命やっている。
 飄々とやっているのではない。他のやり方を知らないからだ。選択肢がない中でせいいっぱいやっている。
 うちの「たたかうおばあちゃん」は介護保険が始まった2000年からデイサービスに行き始めて、やっと入所できた特別養護老人ホームに2週間いて、大動脈瘤破裂で死んでしまった。その日の夕食まで歩いて食べに来ていたから、綺麗な遺体、立派な骨の大往生だった。ご苦労様、お疲れ様。
 しかし、今から思えば、それはばあちゃんが丈夫だったから、できた。体が動くから着替えも食事も、私が順に渡せばできた。草引きもできた。だからと言って、在宅のしんどさが減る訳ではない。プロはわかってくれているのだろうか?
ショートステイで埋めて、デイに行って、家にいるのは月に2日」という使い方でようやく、バランスを保ち、仕事や中学校の勤務に逃げたり、ばあちゃんを預けて甥っ子や姪っ子の結婚式や「つどい場さくらちゃん北海道車椅子の旅」に逃げたり、教え子のコンサートやミュージカルに遊んでいたのを、わかってもらえたのだろうか?
 ばあちゃんは「住み慣れた施設」が好きだったのだ。夕方5時になれば「帰ります」の毎日だったよ。読んでもわかりませんか?家よりも施設を選択する本人を抱えた家族の悲しみ。まあ、笑い飛ばすけど、ね。
 私の持論は、介護しているみんなに言いたいのは「介護は初期から正しく使え。その方が症状が進まず、長く元気で暮らせて安上がり。しかし在宅が全てではない。なくなったあとから悔やむな。自分を責めるな。いつも、せいいっぱい考えて、せいいっぱいやったのだからそれでいい」です。
 安易に「住み慣れた我が家」を言わないで欲しい。我が家にこだわられると、破綻する。他人の何気ない言葉に傷つくのが介護家族なのだよ。