便秘じゃなかった

 夕方まで台所で頑張る。長く起きていたほうがよく寝るでしょ?
 老人クラブの新年会だったそうで、欠席のばあちゃんと、なんと夫にまでお土産を持ってきてくださった。お菓子だった。その人は玄関からのぞいて「おばあちゃん!」と言われるが、ばあちゃんには聞こえない。見えない。あきらめてね。
 ばあちゃんはおとなしい。5時前になると、小声で、はぁはぁはぁ、である。まともな日本語にならないか?
 その間に煮物を作る。「おしっこ、行って」と言うと「けっこです」と言う。許さん。行くとパンツにうんちになっていた。これは困る。もう、わからないのかな?困るな。

テレビの介護番組の限界「NHKスペシャル 認知症医療を問う」午後9時

 家の中にいるのに、夫から携帯電話がかかる。
「9時からNHKスペシャルで『認知症』をする。 解説してくれ」と言う。「認知症医療を問う」 一緒に見ると、夫の方がよくしゃべる。あはは〜。
 
 まず、若年アルツハイマー病の人が、初めに行った病院でみつけてもらえなかった話。30%以上の人が「うつ病」「統合失調症」「なんでもない」と誤診されている。この方々はご夫妻で出演されているようだ。ビデオで出て会場でも何組もの方がおられた。ほんとうはいっぱい言いたいことがあるだろうに、いかんせん、発言時間も内容も制限されている。それでも「初診でみつけてもらっていたら、適切な治療が受けられてこんなに進まなかったと後悔している」と言われる。受診したときに、問診、脳のMRIをとる、テスト、の3つをしてもらった人が少ない。問診だけで「大丈夫」と言われたりして、何のための受診か、わからない。

認知症」をみる専門医が少ない話。全国で800人だとか...認定医になるための講習というか、受けるのだが、「なる人が少ない」なぜか?そんなもん、テレビにきかなくてもわかっている。「なっても、儲からない」薬をどんどん出したら儲かるかも知れない。患者さんの話を丹念に聞き、家族を支えていく、そんな手間のかかる医療に診療報酬がつかないのでしょう?「儲からない」そのお医者さんは「なってもメリットがないのですよ」と控えめな表現ながらはっきり言われた!
 すかさず「家族の会」会長の高見さんが「お医者さんは『専門の教育を受けても、たった6時間だ。足りない』と言われますが、家族はそんな教育を受けないまま、日々、介護しているのです」
 そして「若年認知症の支援の会」の女性が「認知症を知るなら、6人の家族の方の話をそれぞれ、1時間ずつ聞いてください。それで立派に6時間の研修になります」おっ!これはすごい!!!そうだ、そうだ。家族に学べ。実地研修。

「介護」の立場からか、和田行男さんが出演されている。

アリセプト」の話。まったく、薬ってこれしかないのかい?
 見終わって... やっぱりあかん。暗い!「薬」に頼るな。
老健では認知症の医療ができない」という実例が出てきて、何だろう?「薬が使えない」と言う。その「老健」の入所者は高齢で、ほとんどが「認知症」だという。「医療が使えない。アリセプトが使えたら進行が遅らせる」と言う。違うよ!今「しんこう」を変換しようとして、うっかり「信仰」にしてしまいそうだった。「薬信仰」やろ?じいちゃん・ばあちゃんに必要なのは「くすり」やないよ。「適切なケア」だよ。安永さんにきいてごらん。三好さん、鳥海さん、高口さんにきいてごらん。みんな、そう言うよ。ほんま、薬しか思いつかんのかい?情けなくなってくる。
 うちの「たたかうおばあちゃん」にきいてくれる?「薬でおとなしくなるよ」と言われても言われても、ことわって「ばあちゃんに合わせてください」と頼み、今はおとなしくなったよ。医療費は「血流をよくする薬」だけよ。それと頭を切って縫ったときの治療費。あはは。

読書

 正月休みは次男が持ち帰った「模倣犯」を読んだ。文庫本で5冊だ。読み出すとおもしろくて一気に読めた。宮部みゆきさんはすごい人だと思った。
 先週は、久しぶりに図書館に行った。寒いし、ばあちゃんがいるとどこへも行けない。17日に借りた3冊は19日に返し、また5冊借りた。思えばこの半年でずいぶんたくさんの本を読んだ。「介護」の本とそれ以外でも書けるものは、このブログの「本」に入れてある。とても書けないような本も読んだ。これぐらい必死で勉強していたら、もっと違う人生になっていたかもな?あはは〜。あかんか?
 思い出した。日本熊森協会会長の森山まり子先生が、教え子の皆さんと活動をしておられて言われた。「おなかをすかせた熊を守ろうと、生徒たちは必死で勉強し始めました。自分のための勉強なら、途中で投げ出すこともあります。でも、弱いもの、自分たちの助けを待っているもののためなら、投げ出すことはありません。勉強の目的が違うのです。崇高な目的のためなら生徒はこんなに頑張るのです

おとなしくても困る

 ばあちゃんは11日からステイに行き、17日に帰ってきた。お願いして夕食も食べさせてもらったので、帰宅はもう6時40分ごろだった。温かい牛乳を飲んで寝た。夜中に起きてきたが、どこも電灯がついていないので、トイレに行ってまた寝た。かしこい、かしこい。
 18日は家にいたが、寝てばかり。夕方は台所にいたが、おとなしかった。
 今日は朝、10時過ぎ、起きて、雨戸を閉める音がする。夜中は開けてあったわけだ。時間も暗さも超越しているから起きて思いついただけだ。私が開けて、ばあちゃんを起こす。おとなしいまま、朝ご飯を食べる。
 そのまま台所に座っているが、何にも言わない!今日は雪だ。小さなストーブ一つの台所は暖かい。ストーブに鍋をのせてシチューを煮る。じゃが芋も玉葱もまだある。便秘がちのばあちゃんには玉葱がよい。
 昼はお好み焼きにする。切ってソースをつけて出すと、ばあちゃんは箸でつまめない。しまった。いつもの箸はご飯を「集めて」と言って手前に持ってきて口をお茶碗につけて食べていた。端でつまむ食べ方もいるなあ。できなくなっている。のろのろ食べる。「残すな」と書いたメモを見せると「残」が読めない。「タ」と読む。「のこすな」と書いたがわかるかな?中皿にのったお好み焼きは左手でちょっと触って、表面の豚肉をはがして口に入れ、右手に持った箸で、切ってあるものをちょんちょん触って真ん中に寄せ、1つつまんで口に運び、という食べ方で、よそへ行ったらこうやっているのだろうな。昼食に30分もいる道理だ。「遅い!はよ、食べ!」と言うと速くなる。
 おとなしくても困るのだ。機能的には「できる」力があるのだから、さっさと食べる訓練で維持しないととてもやっていけない。
 それとも、次の手を考えるかな?
 

トイレ

 ばあちゃんは自分で「おしっこ、行ってきます」と言わなくなった。
 今朝、見ていると、10時に起きて行ってから、2時に連れて行くまで行かずに、もった。かなり長くもつ。しかし、自分で行かないのも困る。