一人で暮らしている人のお葬式

 3日に帰宅すると訃報が入っていた。隣りの自治会の一人暮らしの方だった。奥様を亡くし、お子さんもいない。喪主は奥様の妹さんのご主人だった。夫が民生委員をしているので、おつきあいのあった方だ。
 お通夜に行くと、お坊さんが読経とお説教をして帰られたあと「老人倶楽部女性会が作ったおにぎりよ。供養だから召し上がって」と言って、大皿が並べられた。「塩がきいてるね」と言いながら食べた。故人は真面目で、几帳面で、自治会の役員などもしておられたが、事務のプロという感じだった。ここの老人倶楽部は、会館でカラオケ・ちぎり絵・食事会、広場で輪投げなど、いろいろやっている。にぎやかなメンバーは「こうして、皆で送ってあげられて、きっと喜んでくれてるよね」とか「あの人は歌が上手で、掛け声も『よいしょ!』って、誰よりもうまかったよね」と、思い出話をしていた。
 これからの少子高齢化社会は、これだと思う。いくら立派な催しを社協がやってくれても会場が遠ければ、足を運びにくい。地元の我々が、力と知恵を出しあって、手作りの福祉をやっていくほうが良い。いろいろなグループ活動や、お茶を飲むだけの会でもいいし、お掃除などの奉仕でも、することは何でもよい。集まることが大切だと思う。そういうのが苦手な人には、こちらから出向いて顔を見に行くだけでも良い。自前の福祉だ。
 さて、告別式は、親族が少ないし、もう70歳半ばなので、会社の同僚の方も少ない。自治会も若い人は、勤務があるので、通夜に参列しているらしく、告別式は役員さんと、老人倶楽部中心だ。しかたがないよね。
 焼香もすんで、お坊さんも退室され、司会者が「最期のお別れです。特に親しいかたで、故人とお別れをなさる方はお残りください。あとの方は外でお待ちください」と言うので、多数の人が出てしまった。私は残った。残った人たちが、遠慮がちに遠巻きにしていたので、「花、入れてあげようよ」と誘って、皆で棺に入れてあげた。外に出ると司会者が「男の方は式場に来てください」と呼ぶ。「孫がいれば、孫がかつぐ棺。担ぎ手が足りないのだ」と夫が察して、戻って行った。役員さんも手を貸してかついであげた。斎場には近所の人が何人も同行した。こうして、最後まで近所の親しい人に見送られ、故人は旅立たれた。
 考えさせられることが多い。自分が死んだら、どうやって見送ってほしいか、考えておく時代かも知れない。私の養父は、皆に遺書を書いていた。実父は、若い時は「葬式は地味に。墓は要らない」と言っていたが、年をとってから、墓を立てて、仏壇も買った。ずいぶん変わるものだ。
 うちの大工さんのお母さんは「今朝は、おばあちゃん、起きるの、遅いね」と見に行ったら、亡くなっていた」という大往生だった。大工さんだから、つきあいも広いし、会葬者が多かった。その上、近所のおばあちゃん仲間が見送りに来て、家の前に立てたテントには入りきらず、焼香の列が続いた。「最期のお別れです」と司会者が言うと、そのおばあちゃんたちが次々に家に入り、棺に花を入れて、泣きながら出てきた。りっぱな式だった上に、その人たちの心がこもっていて、終わってからも、ほのぼのとした。ばあちゃんの人気ぶりがわかろうというもの。
 今回も、真心はこもっていたが、親戚も少ない、会葬者も少ない、式としては寂しかった。
 今、思えば、告別式もエンターテインメント、プロの葬儀屋さんも意識を変えて頑張ってほしいものだ。親戚が少ないなら、参列した友人も近所の人も、「代表焼香」という形で名前を呼んであげたらいいのだ。最期のお別れも「皆さん、どうぞ、1輪ずつ、花を入れてあげてください」と言えばいいのだ。そうすれば、皆が会場に残っただろう。葬儀屋さん、頑張っておくれ。
 葬式って、普通は経験がなくて、おろおろするものだ。わからぬうちに終わってしまう。うちのように、自治会が古いと、手伝いと見てきた経験で、知っていることがある。田舎と言うのは、つきあいがしんどいが、良いこともあると思えてきた。