「大逆転の痴呆ケア」

 和田行男著 中央法規 2003年
 この本のことは前にも書いたが、和田さんは深くものを考える人だと思う。
 この本の後半は、宮崎和加子さんとの対談になっている。タイトルは「どうかかわる『専門職』」 その中の 4.専門職 のところで
宮崎さんが「職員にはかなりの専門的な知識と、これまでにない発想、それと熟練が必要だと思われるんだけど...」と尋ねておられる。
 和田さんは「よくある、財布がない、盗られた」の例で話される。
 支援者が、痴呆という状態にある人とのかかわりに未経験だと「それはたいへん、探してもみつからなければ警察に連絡しましょう」 いくらかでも経験のある人だと「また、しまい忘れたんでしょ。よく探してごらんなさい」「何回も同じことを言い出すから、わたしが預かってます」
 支援者が「痴呆についての知識」つまり「記憶障害やそれにまつわる被害妄想、またそのことから引き起こる事態を予測する力」と、「一般社会的な常識」つまり「財布がないから混乱するのは当たり前。だれかに盗られたかもしれないと思い込むことはだれにでもあること、と心得ていること」を持ち合わせていると、「それはたいへん、私も一緒に探しましょう」になる。
 支援者がさらにわかっている人だと、もうちょっと踏み込んでいく。つまり
1.しまい忘れや被害妄想を問題視するよりも、「財布を持っている」という記憶力を大事にするための具体的手立てをとり、いつまでも財布を持つことができるようにする。
2.素早く探し出せるように、財布をしまい込みやすそうな場所、しまう手立てなど行動特性をつかんでおく。
3.信頼関係を深めるために、見つけたときは婆さんの喜びが大きくなるように振舞う。
4.婆さんに「他人を疑う前にやるべきことがある」と、人間観を共有することができるような手立てをとる。
5.「ここには泥棒がいる」「盗られたかもしれない」という被害観念を引きずらないように手立てをとる。
6.「こんなところにいられるか」といったように、コミュニティーへの信頼(施設や共同生活体への信頼)を失わせないための手立てをとる。
7.家族などに対して、婆さんの現状とそれに対する支援策を説明し、同意を得る。
8.変化への気づきをもち続けるために、婆さんの現状とそれに対する支援策を固定的に見ない。

 う〜ん、すごい、これがプロの仕事か。このようなかかわりをしてくれる所があるなら、ばあちゃんをお願いしたいなと思う。
 高口光子さんが講演の中で「痴呆の人が、ものを盗った、と言うときの相手は、誰彼かまわず言ったりしない。その人が一番頼りにしている人に対して言う」と言われた。だから、同居の娘であったり、息子の嫁だったりする。講演会でそれを聞いたら「そうか、私を頼りにしていて言うのか」と思い、思わず涙したりするが、実際の場面ではそんなことを思うゆとりが無い。「おまえ、盗ったやろ」と言われたら、心がずたずたになるのだ。
 だから、私は高口流解釈よりも、和田さんの具体的手立てに感心するなぁ。