「介護って、べつに特別なことではない 

       一緒に暮らす母がぼけただけ」
              作成・すもも 婦人会福祉講座の資料
+「ぼける」という言葉が、そんなに悪いとは思わない。
 ・ばあちゃんは「ねぼける」(夜中に目がさめた母「もう、起きまんのんか?」私「朝まで寝なさい」母「奥さんは、起きとってや」親子を超越)
 ・ばあちゃんは「とぼける」(私「ばあちゃん、道を渡る時は、車が来ないか見てから渡らな、危ないよ」母「早ぅ、死んだらええがな」私「あんたはよくても、運転手が災難や」友達「大丈夫。あんたの家の前の道は徐行してる。ばあちゃんを見たら、赤信号!」
 ・ばあちゃんは「大真面目にぼける」(私「ばあちゃん、平地と土手の草は引いたらあかんよ」母「引かんと、草が絶えへん」私「絶えたらあかん。雨が降ったら、土が流れて、土手が崩れる」世の中には、要らない物は無い。名も知らぬ野の草が、地面を守っている)

+「痴呆症」という言葉はよくない。「痴れ者」という言葉があるが、「しれる」「ほうける」は「ばかなことをする」の意味である。
+「認知症」に変わったのだが、ことばとしては半端だ。物を認知するのに障害があるわけだが「認知障害症」にしてしまうのも?ばあちゃんは、確かに「認知するのに障壁がある」が「ひとに害を与えている」わけではない。やむをえず「認知症」という言葉を使って説明する。

+母は認知症認知症の原因は、医学の本には 
 ・脳血管性(脳の病気の後遺症)
 ・アルツハイマー病    が2大原因、とあるが、
 私の実感と、金子満雄医師によれば、
  順調に年を重ねた結果の老化現象、が多いと思う。

+「介護はある日突然、やってくる」(と、まるちゃんは言う)
 ・「ある日突然やってくる」のは、脳の病気の後遺症だろう。
  突然、病に倒れ、入院ーー医学的治療が終わって退院ーー自宅でのリハビリになって、途方にくれる
 ・徐々におかしくなって「何か変、何か変」と思うのが、老化現象の認知症。母の場合は。80歳ごろから。
  50年間やってきた百姓ーー野菜を植え付ける間隔が狭くなるーー「財布が無い。お前、盗ったやろ?」−−野菜の植付け・世話をやめる。草を引くだけーー「ええ天気に家におったら、怒られる。畑に行かんとあかん」−−野菜の名を忘れるーー青じそも花の苗も引いていまう。
  ただし、他人の質問には答えられるので、他人には「普通」に見えてしまう。本人の実像がわかってもらえない、という家族の苦労がある。

+介護には「知識」と「まわりの援助」が必要
 私の場合は、阪神福祉センターの職員、病院に勤めている友人、母を介護している友人など、相談相手に恵まれた。
 介護保険制度ができて、デイサービスとショートステイを利用している。
 西宮市の認知症介護者の会「さくら会」に入り、勉強している。
 ある日突然「いざ介護、さてどうしたらいい?」状態にならないために
 ・自分では、日ごろからアンテナを張り、情報を収集しておく。
 ・まわりに、介護の初心者はいないか、一人でなやんでいる人はいないか、気をつけていて、援助の手をさしのべる。
 ・プロの介護職や行政担当者は、「介護に困ったら、ここに相談」と、常に広報しておく。

+「認知症」は単なる「もの忘れ」とは違う。
 ・衣 暑いか寒いか、わからない。時と場合に応じられない。清潔か不潔か、わからない。何を見ても「自分の物だ」と思う。置いた場所を忘れ「盗られた」と思う。
 ・食 食べたか食べてないか、わからない。空腹かどうか、わからない。あればあるだけ、食べてしまう。腐っていても、わからない。「噛む」のを忘れ、丸のみして、のどにつまる。
 ・住 「自分の家」か「ステイ」か、わからない。トイレの場所を忘れる。(今はまだ、家の中の配置と、いつも泊まるステイの中の配置は、からだが覚えているらしい。畑に行くのも、家に帰るのも同じ。)
 ・健康 昼と夜がわからず、ねぼける。風邪をひいても、急性期のしんどさが過ぎて、ましになれば、忘れて外に出るので、なおりきらない。持病の狭心症は忘れて、からだは元気。薬は忘れている。
 ・対人関係 ときどき「娘」を忘れる。日本語が通じない。
つまり、生活全般が破綻していく。人間としての「たが」がはずれた状態。

+だから、どうだって言うの? 「80歳過ぎたら、ぼけても普通」の社会を作る。

+「目と耳と歯を治療しておく」「感謝と感動する心を忘れない」
 母が身をもって教えてくれたもの。