「物語としての痴呆ケア」

小澤勲土本亜理子・著 三輪書店 2004年

「痴呆」とか「ぼけ」とつくと、すぐに買ってしまう。
 これは、「認知症」という病気にかかった人が、どのように考えているから、困難にあうのか、を知る手がかりになる。
 たとえば、アルツハイマー病の奥さんを介護しているご主人の話。この人は、奥さんの状態をよく知っていて、心から抱きしめている。奥さんもこころから頼りにしていて「さみしいの」という訴え方をする。ご主人は「そうか、自分でどうしたらよいか、わからない心細さを「さみしい」という言葉で訴えているのだな、とわかっているのだ。
 あるときは、夜中に家中の電気をつけて、居間に座っている奥さんを見て「心細いから、電気をつけているのだ」とわかる、そういう人だ。
 ところが、奥さんは、お風呂に入るのがいやになる。もう3週間も入らない。そこへ外国から帰省した長女が、頼まれてお風呂に入れることになる。「入りなさいよ。準備ができているのよ。入らないなら、私、この家を出て行っちゃうわよ。それでもいいの?」と言うのだ。奥さんは、しぶしぶ入るが、寝るときになって、ご主人に「あの、下の部屋にいる女は誰?」と訊く。
 私なら「ばあちゃん、私のこと、忘れたんだ」と思うところだ。
 でも、この本の著者は分析する。
「私の娘が、あんなひどい言い方をするわけがない。だから、あれは娘ではない」と結論づけて、奥さんは記憶から長女を消した。それをご主人に訴えられるのは、ご主人を信頼しているからだ。
 なるほど。そして、1年して、奥さんは「このごろ、長女は帰って来ないのね」と言ったのだ。長女のことを思い出した。あの時の心の傷が癒えるのに1年かかった。だから、介護職は、何気ない一言で相手をどれだけ傷つけるか、わかってケアをしなければいけないと、著者は言われる。