不思議な世界

 夕方、ケアマネ君が来てくださった。ばあちゃんに「お客さんよ」と言うと「どこや?」と言いながら応接間に来た。
 ばあちゃんはお茶を飲みながら、隙をみては私とケアマネ君の話に割り込んでくる。「何にもわからしまへん。あたまがいんでしもて、どないも言いようがおまへん。おこられてもしょうがおまへん」と言う。とても「なさけない」顔になっている。ケアマネ君は「大丈夫ですよ。何でも訊いてください」と言う。ばあちゃんは「よろしゅぅたのんます」と言う。私はかまわず話を続けると、ばあちゃんは何回も割って入る。「頭が往ぬ」とはうちのほうの言い方で、「頭だけが西方お浄土に往ね」ば、自分には責任がないから、良い表現だ。こんなこと言い出して、どうなってるの?
 そのうち、カーペットに座り込んで「たのんます」と言う。次はソファのケアマネ君の隣りに座る。すると、ケアマネ君は「大丈夫。何でもお教えしますから」と言って手をとった。握手。握手。ばあちゃんはまだまだ「情けない」顔だが、ケアマネ君の笑顔がとても優しい。なんなんだ?どうしてこんな笑顔ができるんだろうと思う。ばあちゃんは「動物的勘」で、この、自分の孫の年齢の若者に「自分のみかた、頼れる人」を嗅ぎとっているのだろう。日本の福祉はこういう心優しい若者とベテランのケアワーカーの日々の労働でもっている。そこらのうさんくさい政治家たち、この人たちの爪のあかでも煎じて飲んで、と思う。
 ばあちゃんの話を聞いていると、自分がステイに言っている感じなので、ケアマネ君はステイの「なじみの顔」としてインプットされているようだ。「次は、いつ、行きますのん?」と言い出した。「来週ですよ」「あ、そう」を何度か繰り返し「書いてあげましょう」になって、メモに書いてもらった。「あ、そう、来週?何時に来ます?」「9時ですよ」「9時?いつ?」「来週」...
 私はもう、あきれ顔。何回、やってるの?「勝手にやっとれ!」と思う。頭が痛くなってきた。私にはついていけないわ。ここが、家か、ステイか、わからん、和犬がわからん、あ、違う、訳がわからん。こら、ちゃんと変換せい、パソコンのあほ。パソコンにまで突っこむのが、関西人の漫才精神、サービス、サービス。笑ってもらって、なんぼ。
 ケアマネ君が「帰ります」と言うと、玄関の外まで見送りに出た。それでも、見えなくなると、家に入り、あとは「なにごともなく」日常に戻り、部屋に引っ込むのだから、これまた、訳がわからん。私は頭を冷やしに、犬と散歩に出た。