「かわいくて、わがままな弟」

 金澤絵里子著 講談社  2005年
 金澤さんの弟の正和君は、筋ジストロフィーという病気とたたかいながら、いつも勉強をしていた。ICU(国際基督教大学)に入学し、国際関係学科で、国際紛争解決を研究していたが、3年生の1月10日に亡くなった。
 大学では「ICUでいちばん勉強をした正和君」のメモリアルとして「マサの平和構築論賞」が設けられ、平和構築論に関係する分野の卒業論文を提出した学部学生の1名に授与されることになったそうだ。
 正和君はごく普通の男の子だ。が、病気のせいで一日を暮らすためだけでも、大変だ。毎日世話をしているお母さんと姉の悠子さんと絵里子さん。読むと、ほんとに大変だとわかる。が、正和君は一生懸命に勉強をする。やりたいことがいっぱいある。周りの人に与えた影響は大きい。
 これを説明するのは難しい。是非!お読みください!
 教育の原点。正和君のように障がいのある生徒を受け入れることはかなり大変だと思う。でも「学びたい」と思う生徒を入学させてあげてほしいと思う。ICUでは、いろいろ特別に配慮しているが「今度、障害のある学生が入学したときのために、正和君に学ばせてもらっています」と言われている。この考え方が素晴らしいと思う。
 正和君は病気のために体育の授業を受けていなかったそうだが、大学では受けることになる。松岡信之教授が「何もできない金澤君ができる体育を考えだす」と言われる。「1年生でやる基礎体育は、自分の体を自分で知ることに重点を置いていますが、正和君のように障害を抱えている人も、自分の体を認めて生きていかなければなりません。そのためには自分の体でどんなことができるのかを知ることは、とても大事なことだと思うのです」というのが教授の信念だ。そして考え出されたのが「吹き矢」ストローの袋を、フッと吹いて的に当てるのだそうだ。ストローの袋って、紙のあのストローが1本ずつ入っているやつだろうか?

プロローグ 希望と不安
1.弟 筋ジストロフィーとの闘いの始まり
2.小学校時代 普通学級に入るという選択
3.My Voyage 正和、世界を旅する
4.十五歳の檜舞台 英語弁論大会で決勝へ
5.周囲の優しさ 多くの人に支えられた高校生活
6.受験の壁 障害者が大学を受けるということ
7.ICU入学 念願の大学生活スタート
8.献身 介護をする者と、される者
9.正和の死 そして再び世界へ
エピローグ 正和が残したもの

 2つ紹介する。
 第5章の「周囲の優しさ」の最後に、絵里子さんは正和君に次々に用事をいいつけられて「一瞬いや気が最高潮に達して、動けない正和をパシンとたたいたことが三度ある」と書いている。そして「私は自分の中に、追いつめられると鬼になってしまう自分がいることを知った」と。私は毎日、鬼になっていると思う。
 第8章の「献身」で、絵里子さんは正和君が大学に入った年の夏休みに「一日にしてもらうことを克明に書いてごらん」と言う。正和君がキーボード画面をマウスでひとつひとつクリックしながら書いた文章は、朝8時から寝るまで、38項目ある。それが「一日の基本、つまり最低限やってもらうことだ」と書いている。来る日も来る日も、だ。お母さんは「人を介護するには、介護者を介護する人が必要だ」と言われる。私達の認知症介護と同じだ。正和君は書いている。
「二人の姉たちも、小さいころから僕の面倒をみてくれた。僕は姉たちに大いに迷惑をかけ、自分を制限してきたが、それでも二人とも僕をすごくかわいがってくれている。僕は母や姉たちに絶対的に依存してきたが、ほんのつい最近までその献身がたいへんありがたいことだと気づいていなかった。そのことに気づかなくてすんだのも、また彼女らのおかげなのだ」