パネルディスカッション「介護者の思いを知ろう」さくら会会員

 コーディネーターの品田先生が「いろいろしましたが、こうまで打ち合わせがないのは初めてです。どんな話が飛び出すやら...」と言われる。じつは先ほどの昼食時に顔合わせはしたのだ。4人のパネラーがそれぞれ品田先生に自己紹介をして、現在かかえている問題も話した。ただ、その4人が「私はこれを言うから」と分担を決めなかっただけ。でも大丈夫。さくら会会員は慣れている。先に話した人の発言を受けて「同感です」も言えば「私はこうだ」と立場や意見を変えることもへっちゃらさ〜。
 まず、りんごちゃん。お母さんは脳梗塞で倒れ、その後、徐々に「りんごちゃん」を娘だとは認めなくなった。時には「姉」時には「従姉妹」時には「友人」と思う。最初、りんごちゃんは事態を受け入れられない。それまで仲良し親子であったため「まさか、母が!」と思う。しかし、友人の力添えがあり、もともとりんごちゃんはお母さんが大好きだったので、だんだんpureになっていくお母さんを見て「母の娘でよかった」と思えるようになり、今は「お母さんがいとおしい」と思う。ピンチをチャンスに変えたのだ。今は「お姉ちゃん、おはよう」と言って起きてくるお母さんに「おはよう。よかったね〜」と言い「お姉ちゃんやね〜」と言うお母さんと抱き合う。
 ところが、夕方になると不安になり「帰ります」と言いだすお母さん。「待ってね〜」「今晩、泊めてね」「どうぞ〜」とばかりはいかず「そんなら、帰り〜よ」と言ってしまうこともある。夜中に布団をきせてくれるお母さんを見ると、お母さんの「心の引き出し」には「娘」の引き出しもあって、今はそれが遠くに行ってしまっているが、時たま開けられるときもあるのだと思う。死ぬまで在宅でみとりたいと思う。
「見守り隊」について。お母さんが入院したとき、付き添いをして、かたときもそばをはなれられなくて困っていたときに、つどい場さくらちゃん「見守り隊」が来てくれて「一緒に頑張ろう」と言われて思わず涙がこぼれた。また会場にはりんごちゃんのお母さんもみえていて、りんごちゃんが前のパネラーの席にすわっているのを見ておられる。隣には「見守り隊」の姿がある。りんごちゃんのお母さんはおとなしい。おだやかに笑っておられる。たまに「つどい場さくらちゃん」で会うと「ここ、来たこと、ある?」と訊かれ、りんごちゃんは「あるよ。大丈夫よ」と返事している。うちのばあちゃんなら、こうはいかない。目の前に食べ物が無いと怒り出す。性格が違うのだな。
 次はマロンちゃん。「今思い出しても胸がつまる。よくやってきたな〜と思う」と語りだす。マロンちゃんのお母さんは60歳ぐらいから「ちょっとおかしいな」と気がついた。18年も前で、今ほど認知症が知られていなかった。お母さんの介護をしながら、さくら会の活動を頑張っておられたお父さんの方が病に倒れ、病院の処置と対応が悪く、語るも涙、聞くも涙の闘病生活。お母さんは他市の特養で安心して暮らしておられる。マロンちゃんが言うには「病院は家族のかかわり一つで良くも悪くもなります。『私の母だけ大事にして!』と言わんばかりに、かわいい服を着せ、枕元に家族の写真を飾り『これだけの者がついてるぞ』と示し『一生懸命の家族なんだ』と思ってもらうのです。スタッフは『変なこと、できないな』と思う。また、えこひいきもできないので、全体の介護力アップになります」すごいねぇ〜!すごいエネルギーだ。
 が、マロンちゃんはお父さんの死後、1年ほどたった今、元気が出ないのだそうだ。「燃え尽きた」と言っている。「『まず介護』はぜったいにだめ。こわれる。『適当』でいい。充分伝わる」と強調する。
 次が早苗さん。「いいかげんな介護で申し訳ない」と切り出す。あはは。じつはそんなことは無い。50代で脳内出血で倒れたご主人の介護をして14年だ。とにかく「夫の介護」の毎日だったと言う。介護保険が利用できるようになり、楽になり、自分の時間も持てるようになった。ところが、去年早苗さんが病気で入院した。その間、ご主人は老健ですごすことになったのだが「何じゃ、こりゃ?」の連続だった。病気の早苗さんに電話して「ご主人に困ってます。何とかしてください」と言ってくるのだ。入所しているのだから、スタッフで何とかするのが当たり前だろう。離れている家族に何ができる?その結果、入所する前は杖をついて歩けていたのに、立ち上がるのも困難になってしまった。元の夫にして返せ!「家に帰ろう」「北海道の旅に行こう」と言って励まし、リハビリに取り組んだ。
 今は家に帰ってきたが、それが大変だった。教えてほしいこと
+入所中に能力が落ちないようにするためには、家族は何をすればよいか
+退所する前には、いつごろ、どのように動き始めればよいか
+「ケアマネを変えたら」と言われたら、どのように探したらよいか
 最後に「さくら会での人との出会いがあり、支えられてここまできた。介護に直面したおかげで得られた出会いを夫に感謝する」と言われた。
 さて私の番。「さくら会での出会いに感謝は早苗さんと同じで、ここまできた。母とのつきあいでは、りんごちゃんのように『いとおしい』とかは、まったく思えない」と言うと、一同爆笑。あはは。「母は赤ちゃんから育ててくれたのに、私が結婚したころから関係がおかしくなり、にくたらしかったので『なんで、いまさらぼけるのよ』と思う。ただ、恨み言を言う前にぼけたので、良かったかも知れない」ついで「要介護4になった」話。それをショートステイのスタッフに言うと「では請求書、書き換えてきます」家族をねぎらう言葉は無いの?「ショートステイの利用が増えないのはなぜか?」を市役所に訊きに行った話。「たたかうおばあちゃん」を書いて近所の人に協力を求めると「大丈夫。『ばあちゃんを見ると赤信号。徐行しなさい』と息子に教えた」と言われた話で、また笑い声。中には、わ〜っと泣き出して「主人の母もおかしいの。でも主人にぐちを言えない」という人も「たたかうおばあちゃん」で笑うから、人助け。ばあちゃんは「歩く広告塔」
 これには品田先生があきれかえって「これではシンポジウムはやめて、大喜利にしましょうか?座布団、持って来て」おもしろい先生だ。先生はマロンちゃんに「『介護の日々に、自分の子供に充分なことをしてあげられなかった』と悔やむ必要はありませんよ。子供はお母さんの背中を見て育っています。会わなくても、すごいお子さんになっていると想像がつきます」とねぎらわれた。私もそう思う。
 会場の出席者からも、質問・意見が続出で、いろいろ学ぶことが多かった。さくら会の世話人さんが「こういう講座をしても、プロのスタッフの方の参加が少ないのです」と言われたが、そのようだった。家族の顔が多かった。「たたかうおばあちゃん」は40冊持参して入り口の受付に置いたが、少し残った。