「生き仏」

 上の本の(1)で三好さんは「医療系の施設は教えようとする、怒る」と言う。「『七歳までは神のうち』ということわざがあって、『神のうち』というのは神様みたいだというより神や悪魔や妖精やらがいっぱいいて、残酷さもあるしわけのわからない世界だという意味だとおもうんですが、私たちもそういうことわざをつくろうよといって、『八十過ぎたら生き仏』というふうに言っているんです。寝たいときが夜だし、食いたいときが食事時だし、もう教育や指導するのやめようよというんですが、専門家には通じないですね。最後まで指導したがります」
 それは通じません。一生そこで暮らす特養ならいいでしょう。ショートステイで泊めてもらっているのにそれをやられたら、家に帰ってきたときにどうするんですか?家族は「昼に働いて夜に寝たい」のです。
 それにしても「生き仏」とは?ばあちゃんがお経をあげたあと、大声で「けっこうでございました〜ありがとうございます〜」と繰り返しながらご飯を食べに台所に来るようなもんですか?「半分、お浄土へ行ってるわね。頭だけはいんでる、ってね。
 昔、ばあちゃんに連れられて行っていた神道大教会の親会長さんは祝詞をあげたあと、神がかりになって「なにか、のりうつった」ように見えた。拝んでもらって将来を占ってもらったり、お願いごとをするのだ。その人の娘さんがあとを継がれたが、そういうことはなかった。そのかわり、とても聡明な方で「私が男だったら政治家になって国を救うのに!悔しい」と言っておられた。「政治への提言」という本も書かれた。その方の存命中に何も恩返しをできなかったので、ここに記しておく。