安永さんの「認知症ケア」

 昨日の講演のあとの話。「腹臥位療法の変形」で、床に座布団を置いてひざをついて座り、両手はベッドにのせる。これでタッピングしてもらうと、痰が出やすい。もう一つは「ぬれマスク」の効果。細菌は空気中の湿度が下がると生存率が高まる。ぬれマスクで湿度を上げると細菌が減る。またいつも口を開けて寝ている人は熟睡できないが、ぬれマスクを鼻の下、口だけにつけて寝ると鼻呼吸ができてよい。
 さて、今日は認知症ケアについて。この人の心の中はどうなっているのだろう。探ろうとする。やりすぎるとその人を傷つけることが多分にある。深い認知症の人の心に土足で踏み込んでいく。これをケアワーカーは自覚しておくこと。
 クリスティーンさんのあと、自分の口で語る人が日本にも出てきた。今までは外から見て理解したつもりだったが、違うのではないか?それでも語れる人はまだまだ少なく、自分で言えない人は、困ったときも、自分が何か不都合なことをしたのではないかと思い、てれ笑いをしたりしてしまう。
 なぜ大声を上げるのか?それを引き起こしたのはあなた(ケアワーカー)じゃないの?
「ほの香」で見てみよう。これはNさん。とりつくしまもないほど怒って、ギャーオになると、職員は「よろず相談所」の私に助けを求めてくる。「安永さ〜ん、なんとかして」Nさんは「やっと、あんたが来てくれた。あんたにだけ言わないけんことがある」「な〜に?」「家に帰らないけん。息子が待っとる。東京にいて、立派な会社をやっとる」これを受け止める。すると語ってくれる。なのに職員が足りない。一対一で対応できない。「ばあちゃん、バス、もうないわ」「ご飯用意したし、布団用意したし...」こうしてあきらめるのを待つのがケアか?この人を馬鹿にして混乱させているのではないか?向き合えるときは向き合えよ。それを「あんた〜」と言われても、気づかないふりして逃げる。感性が乏しいからか?
 この写真は、怒って興奮して何言ってもきかん状態。歩けないのでよつんばいで這って、やっと玄関まで来た。「Nさ〜ん、どうするの?」「やかましい!」目がつりあがっている。「家までほうて帰るんですか?無理でしょうが」と言いながら車椅子に乗せ、さぁーっと部屋に連れて行く。怒るよ。でも「思い」を持ってかかわっていくと、顔が変わったでしょう。
 次に「先生からのお願いです。今度転んだら大変です。ひとりで家で寝起きはできません。ほの香で薬風呂に入り、足が動くようにリハビリをして、しばらく泊まるようにしてください。家は娘が守ります」と書いた大きなメモ(というより看板?)「お風呂の日は月・水・金・日の午後」のメモ。
 次は笑っている写真。Nさんが出て行く。ついて行く。家まで30分。家を通り過ぎ「家がない」と気づく。心細い。「わからんようになった」と言う。「どうしよう?困ったね」と返す。ウォーキング中の女性が「ばあちゃん」「あんた、私の家、知らんか?」「わからんようになったん?連れて行ってあげる」と案内してくれる。ドアをカンカンたたき「やすこ〜、ひさし〜、すすむ〜、みえこ〜」とたたきつづける。とことんつきあう。「まど、つきやぶれ」「あんた、鍵、持っとるか?」「あかん。うちの鍵やもん」「となり行って、鍵あずけとるかも知れん」となりに行く。「かぎ、あずけとらん」ここまでつきあうと、Nさんが見えてくる。認知症ばあちゃんじゃなく、Nさん。
 次はHさん。この夏は食べずに脱水になりかけた。通所の利用者が「Hさ〜ん、おいしいで〜、食べないけんよ〜」と口に運んでくれる。この意図的関係を作れるか?家でも食べてない。家族は困っている。毎回体重測定をする。元気なうちは体重測定はいらん。必死で食べてもらう。「食べてきてくれ、うんこ出してきてくれ、おふろ入れてきてくれ」これが契約。家族も大変なんだ。お手上げのところ、ほの香でやってくれ。この写真、ほの香のぶどうを食べている。「食べない」のじゃなく食べてもらう状況づくりをする。この笑顔の写真、この瞬間を待っているのだ。
 今日の旭川も−6.6℃、真冬日です。
 お風呂の話。同性介護がいい、なんて嘘。「いい人がいい」つまりその人との相性。「あんたか!行く」と言われるのは「美容師になりたい」という職員。ドライヤーのかけ方が抜群にうまい。別の職員は「入らん」という人の前で自分も裸になり「入るよ!」と言うと、つられて入り、繰り返すうち、入るようになった話もある。