JR福知山線脱線事故を語り継ぐ  

 JR福知山線脱線事故から3年。記憶を風化させないためのさまざまな報道。
 この3年で変わったこと。変わらないこと。
 当事者が訴えていくことの大切さ。つらい作業に違いないが、確かにおこなわれてきて、引き継がれている。
 3年前の今日、私は田んぼの横の花山椒を取っていた。遠くの友達からメールが来た。「お元気?今、事故なんですけど...」「今?田んぼで山椒を取っているよ」と返した。夕方、家に帰って、初めて事故の映像を見た。死亡者の名前の中に、何人もの知り合いの名があった。
 別の友達から電話がかかってきた。「乗ってなかったの?あんた、よく大阪へ遊びに行くから、乗ってるんとちがうか、思って心配したんや」
 確かに月に一度、通院に使っていた路線だ。降りてから出口に近いので、たいてい1両目に乗っていた。ほんの「運」だと思った。
 今日は、偶然、大阪行きに乗る。駅には黒い服の社員さんが二人、記帳台を出しておられた。書くのがつらいので通り過ぎたが、決して忘れてはいません。つらくて書けないのです。現場で手を合わせることもできません。遺族のみなさん、けがをされたみなさん、ごめんなさい。でも、忘れません。伝えていくことはしていきます。