女優ちゃん親子登場 話をする。

 ママと一緒に壇上に上がる。ママは車椅子で、いつものようににこにこと膝にはスヌーピーちゃんをのせてあやしている。横にまるちゃんが付き添う。
まるちゃん:はた目には「優等生親子」に見えます。にこやかに見えるお母さんも夜は大変なんです。6時半には「あんたも一緒にここで寝なさい」と言うんです。娘はほっそり、娘こそ「床ずれ」できひんか?と心配になりますね。「ハッピーそよかぜ」買ってあげたい。
女優ちゃん:こんにちは。母はぬいぐるみ「スヌーちゃん」が気になって「この子のご飯はどうするの?」「おしっこ、もらさないかな?」と聞きます。私は「大丈夫よ。この子にはちゃんと決まったのを食べさせているから、大人のを食べさせたらあかんよ」と言います。
 母を8年間介護してきました。進行してきて、4〜5年前から私が娘だとわかりません。今は母が大好きで誇らしく思います。今が一番、心が穏やかで介護していてよかったと思います。最初は「なんで?」と受け入れられませんでした。一対一の二人ぐらしでした。何とかもちこたえてきたのは近所や友人のおかげです。「死にたい」と言ったとき、友人が聞いてくれました。おかしくならずにきましたが、共感してもらえたのがケアマネさんでした。「さくら会」のパンフレットをくださいました。その時は「まだ、母はそこまで至っていない」と思いました。友人の紹介で「さくら会」の門をたたくと「あ、共感してもらえた」安堵感に包まれ、心にすっと風が通りました。
 それまでは「自分は貧乏くじを引いた」というマイナス思考でした。いろんな人の話を聞くにつれ、自分の話をする機会にも恵まれました。
 母は自分が結婚していたことを忘れ、仏壇の写真を見て「あの人、誰?」「私のお父さん」「どこにいるの?」「もう死んだの」「あら、かわいそうに」忘れたのは病気なんだ。母の中には私がいる。母が忘れるのは「贈り物」なんじゃないか?私にとってもプレゼントです。経験できないこと、めぐり合うことのなかった人とめぐり合えた。自分自身が幸せな気持ちになったのです。
 認知症の人は不安と隣り合わせに暮らしています。一度、食事のときに母は口にあわない物を出して私のお皿にのせました。私はきっとにらんだと思うのですが「私、ここにいたらだめなんですか?」と言いました。母は、何かはわからないが、叱られたことだけは感じたのでしょう。それまで「在宅でみよう」と決めていたのが、とっさの対応ができないのです。いつも「いい娘」ではありません。3日に1回ぐらいはキレます。
 夜、暑いときに汗をかいて、着替えてあげようとすると、母は「何をするんですか?」と言います。「お母さんのためにやっているんでしょ、もう知らない」と言ってしまいます。母は手を伸ばし、私の背中をトントン、してくれます。「お母さん、ごめんね」
 認知症になっても人に対するいつくしみはちゃんと持っています。今なおこうして...人間はこうして死んでいくことを教えてくれる。母は今も母なんです。

 女優ちゃんの話は終わり。涙、涙の両隣...

まるちゃん:秋分の日にこんなにたくさん全国から来ていただいて、ありがとうございます。
 「つどい場さくらちゃん」は引っ越しをします。駅から1分の一軒家です。しかも今までよりも安く借りられる。「食い気」で負けないまるちゃんと、頭脳は増尾さんと社協にまかせ...相変わらずの貧乏です。「ハッピーそよかぜ」お金のもと。大金持ちはいません。募金箱には札が入っています。(引っ越しのための募金を集めていた)「つどい場さくらちゃん」もうすぐ6年目。いまだに何やってるか、本人がわからん...
 今から5時から7時まで懇親会をします。またアンケートもご記入ください。ありがとうございました。 (4時28分)