まとめのセッション「このフォーラムを明日からの糧とするために」

 いよいよ最後。
コーディネーター ゆきさんこと大熊由紀子さん
  肩書きは 福祉と医療・現場と政策をつなぐ「えにし」ネット 志の縁結び係&小間使い  国際医療福祉大学大学院 教授(医療福祉ジャーナリズム分野)

パネリスト
 1.街かどケア滋賀ネット 副代表 NPO法人しみんふくしの家八日市滋賀県)理事長 小梶 猛さん
 2.全国地域生活支援ネットワーク 理事 曽根直樹さん
 3.東京大学 名誉教授 大森 彌(わたる)さん
 もう一人 厚生労働省 辻さん  

 ゆきさんが、のんびりゆっくり話し出す。「私流 2つ。1つは皆さんが長引くと、チベットから取り寄せたこのベルを鳴らします。 もう1つは私は学生からも『ゆきさん』と呼ばれるので、大森 彌(わたる)さんは『やーさん』、曽根直樹さんは『なおきさん』、小梶 猛さんは『たけしさん』と呼ばせてもらいます。ではお一人ずつ、オリンピックのときは何をしていたか?」
 やーさん「オリンピックのころ?貧しくてカラーテレビは無いし、スポーツには何も関心ありません」
 なおきさん「オリンピックって東京?」
 たけしさん「オリンピックのときは高3でした。三波春男さんお東京五輪音頭を知っているかどうかで年齢がわかりますね」
 ゆきさん「もう一人、ゲストを紹介します。厚生労働省の辻 元次官です。この画像で『じじばば体験』をされました。田園調布学園大学教授から東大教授になられます。私の東京オリンピックは、女子選手村の取材のために各新聞社が一人ずつ女性記者を採用したのです。私もその一人です。次さんはもう少しいてくださるのでどうぞこちらへ」
 辻さん「『じじばば体験』で口から食べられない体験をしました。自分で食べる物を選べないということがどんなに味気ないか、身をもってわかりました。今回は『アメニティ・フォーラム』と『宅老所フォーラム』を同時に開催し、その求めるところが同質であることがわかりました。人里はなれたところに施設を造ったらだめです。私は学生に『君たち、夢を持ちなさい』と言っています。あたたかい、やさしい社会を求めることです」 

たけしさんから始める。たけしさんはたこあげの名人だそうだ。100畳の大だこをあげる。飛び魚のたこに「非戦の誓い」が書いてある。
 1ページ目は「まとめのセッション『このフォーラムを明日からの糧とするために』」 
 2ページ「このテーマ、私にはちょっと荷が重過ぎるので 私なりに考えて これまでとこれから 私の取り組みをお話します」
 3ページ「たけしさんは自称他称『建築士』きっかけは20年前の『抱きしめてBIWAKO』かな?この時初めて高齢化社会の到来を知った。市民福祉国際フォーラムを開催。市民として何かできないか」
 4〜5ページ「街かどケア滋賀ネット」・・・ただの市民の集まりが、それぞれ事業をするようになる。
 6ページ「この全国研究交流フォーラム」・・・地域での暮らし
 7ページ「これから  (1)地域自治組織との連携 (2)医療・保険・福祉の包括的な取り組み (3)障がいのある人たちとの連携」
 8〜12ページ「地域と自治組織との連携・・・まちづくり協議会」
 13〜14ページ「医療・保険・福祉の包括的な取り組み・・・市民が考える医療フォーラム」
 15ページ「障がいのある人たちとの連携・・・東近江版『ソーシャルファーム』と呼ぶ、働き暮らし応援センター『TEKITO』(てきとー)」
 16ページ「そして目指すは地域共同感情の創出・・・やっぱりこの地に生まれ、ここに育ってよかったな!と思える気持ちが第一だと思います」
 近江商人三方よし」・・・「売り手よし(経営者)」「買い手よし(利用者)」「世間よし(景気よくなる)」が循環する。
 
次がなおきさん。なおきさんは「平成桃太郎の会」というのをやっておおられて「アメニティフォーラム」のほうの方。埼玉県の人口が700万人、その東松山市9万人の「ひがしまつやま市総合福祉エリア 施設長」である。元は「こども発達センター」とか「ファミリーサポートセンター」とか「障害者生活支援センター」とかの勤務らしい。そして「24時間365日の支援!!」を目指す。「制度の谷間に入ってしまって支援を受けられない人が出ないように」というからたのもしい。
 要綱の1ページ「ユニバーサルな支援と共に生きる社会を目指して」
  (1)市民福祉プランひがしまつやまの策定
      東松山市総合福祉エリアの組織図・・トップがあって、部門が枝分かれしている、よくあるやつ。
  (2)支援の統合を目指して・・・制度の対象外の人も利用できるライフサポート事業(有償ボランティア)を一時的に行うことにより、全ての市民が利用できるサービスの提供を行う。
  (3)「共に育ち、学ぶ」・・・公立保育園に通っている障害のある幼児のために加配保育士を13人。普通学校に通っている障害のある児童・生徒のために介助員を小学校22人、中学校2人。経管栄養の子どもにナースを配置すると他の子にもプラスになる。自閉症の子どもに「絵カード」で指導するなどの工夫を共有する。画面に写った保育園の子ども達の中に、なおきさんのお子さんと障がいのある子どもさんが一緒にいる。車椅子の子も普通のクラスにいる。
  (4)「共に暮らし・働く」・・・*レスパイトサービス「ケアサービスいわはな」・・・24時間365日がこれ。埼玉県単独事業の「障害児・者生活サポート事業」も合わせて実施して、年間12000時間のサービスを提供。  *重度障害者グループホーム「かがやき」の開設(平成15年)  *就労支援センターZACの開設(平成15年)
 5〜6ページ「自立支援法と『サービス』の目的
 7ページ「障害のある人の問題は、みんなの問題です」・・・東松山市障害者手帳を持つ人が3500人、つまり人口7万人の25人に1人。25人が横に並んだ絵がある。これを5人ずつの家族に分けると、5家族に1人という、身近な問題になる。駅にエレベーターがあると、障害のある人だけではなく、ケガをしている人、妊娠中の人、重い荷物を持っている人、などにも便利だ。つまり皆が暮らしやすい町ができる。みんなで一緒に考えましょう」
 これでだいぶ、頭の中がつながってきた。そうなのよ、皆の問題だ。それでこういう市でできるということは私たちの市でもできるということだ。要は「やる気があるか、ないか」

次がやーさん。わたるさんの「彌」の文字は「弥」だから やーさんなの?やーさん「私はパワーポントはないし、携帯も持たず、レジメも無い、不親切です」と始められた。
 要綱には「持続可能な社会保障構築とその安定財源確保に向けた『中期プログラム』・・・平成20年12月24日閣議決定
 1.景気回復のための取組
 2.国民の安心教科のための社会保障安定財源の確保
   安心強化の3原則 (1)中福祉・中負担の社会をめざす (2)安心強化と財源確保の同時進行を行う (3)安心と責任のバランスのとれた安定財源の確保を図る
 3.税制抜本改革の全体像
 4.今後の歳出改革の在り方
 5.中期プログラムの準備と実行
 6ぺーじにわたって文字ばっかりだ、というより漢字ばっかり、私の苦手の分野だ。あ〜読めない。
 最後の7ページ目が「社旗保障の機能強化の工程表・・・2009年から2025年まで」だ。うんと小さい字に縮小印刷されている。「工程」か?行程じゃないの?あ、違うわ。行程は「車・徒歩でのみちのり」工程は「作業の順序・段階」だ。「年金」「医療・介護」「少子化対策」「共通」となっていて、「2015年の姿」に夢のような姿が描かれ、「共通」は「社会保障番号・カードの導入」だ。ほら、長尾和宏さんが言っていた「国民総背番号制度」これだよ。
 やーさんのお話。「私のマンションには障がいのある子がいて、毎朝運動会をしてます。廊下を走るんです。走っているうちは元気なんだと安心してます。東松山市では「共に育つ」をしているが、私の住むさいたま市は(ろくでもない市だから)やってない。小さいときから一緒に育つとわかるんです。「障がいのある人と酒を飲む」ボランティアをしたからわかったことがある。ボランティアは自分のためにやっているのだと。また、プライバシーを共有すないと地域はなりたちません。もの言う人間は嫌われるでしょ?(私のように)(笑い声...)
 ゆきさんが尋ねる。「市ならできるのに、国ではできないのは何故?」
 わたるさんは「そういうものです。あの市にはあってうちにはない。それは自業自得です。そんな市長を選んだ自分達の責任です。(地方自治とはそんなもの)いつまでも国に求めてもだめ。平成の大合併がろくなものではない。大きくなると組織は縦割りになり不親切になるのです。地域活動こそ力です。今後おそるべき社会保障のほころびが出てきます。つけを全部公認にゆだねています。みなこけるわけ」
 とまぁ、こんなにバッサリ切ってくださるとわかりました。そうか、選挙で選び間違ったのだ。自分達の力になってくれる代表を持てなかった市民の責任だ。また大きな市より小さな地域でやれているところを見ると、自分の町に帰ってやれるところをみつけてやっていくしかないのだろう。
 まぁ、滋賀まで来て見えてきて、よかった。最後まで聞いていて、わかってよかった。難しいから途中で帰りたくなったものね。

要綱の最後に、ゆきさんの「うねりをつくった2つのネットワーク〜キーワードは『地域』〜」 (福祉と医療・現場と政策をつなぐ『えにし』) 
 1.これは歴史の必然 
  1998年2月、奇跡のような偶然が起きた。遠く離れた滋賀県宮城県で「地域福祉」をキーワードにした2つのネットワークの誕生。
  当時厚生省の政策課長だった辻哲夫さんは、宮城県松島で開かれた宅老所の初の集いで感動の面持ちで語る。「高齢者ケアと障害ケアの分野で、同じ志をもつネットワークが、同じ年の同じ月に誕生。これは歴史の必然としか思えません」(これがさっきの辻さんだ!やっとわかった)
  辻さんは、若き日、滋賀県に出向していた縁で、大津氏で開かれた「アメニティフォーラム」の基調講演を依頼され、熱気あふれる会場でアジ演説。そのわずか1週間後の宅老所の集いだった。(あ〜、そうだったのか〜)
 (このゆきさんの文章はすごいので見出しだけ書きますから、手に入れて読んでみてください)
 2.夢から出たマコト
 3.ヒラメのような社協職員
 4.「思いやり」や「優しさ」より大切なのは
 5.栃木から宮城へ、そして、宅老所から生まれたユニットケア
 6.入り口はその人らしさ、出口は地域
 7.「平成桃太郎の会の鬼退治
 8.モットモラシイ名前に、改名。「僕らは語りあったー障害福祉の未来を」(ぶどう社)
 9.行政の文化に革命が

 というわけで、私のなかで、2つのフォーラムがやっとつながり「そうだったのか〜!」という一瞬でしたね。それで私が教師生活の初めが「障害児教育」であり、それが今も「学校協力員」でつながっていること、ばあちゃんがぼけて「介護」の勉強などもしていることが、つながっているのだ〜ということ。ぬけられないんだ。今も「わけありの教え子」がいるけど、ね。それも仕事のうちだったり、ばあちゃんとのしんどい日々の中の息抜きだったり、ね。はるばる滋賀まで来てよかったです。