初盆

 去年はばあちゃんの初盆だった。
 うちは浄土真宗なので、「迎える」意味がまったく違う。
 亡くなった人は阿弥陀仏様が迎えに来てくださって、お浄土に行く。だから魂がさまったりしない。そのあと、どうなるか?つまり、生きている人の心にすみついて、生きている人を守る。ご先祖は私たち子孫を見守っていてくださる。たたったりしない。心霊写真なんてありえない。
 死ぬことを忌み嫌ったりしない。「黄泉の国」というのは神道だ。神様もお祀りしているが。
 「千の風」に乗って吹き渡ったりしない。人の心の中にいてくださるのだから。
 お盆に魂が帰ってくることもない。いつも心の中にいるのだから。迎え火も送り火もない。愛想は無いが、それでいい。お墓参りもするし、阿弥陀仏様も拝むが、そういう信仰なのだ。
 だから東北の「被災地に向う人たち」をテレビで見て、これは信仰する宗教が違うのだから、しかたがない。東北の方々や河西さんが、馬と牛を用意なさるのも、提灯も、そういう信仰なのだから、それはそれでよいのだ。
 ついでに言うと、私の実母は天理教の家に生まれ、これはまた独特の信仰だ。人間が陽気に暮らしているのを見たいと思って、神様が人間をお作りになったのだそうだ。信者である人間が亡くなることを「おなおりになる」と言って、神様の国に行く。寂しいことではないようだ。
 また「種を蒔く」という信仰もあって、良いことをすると自分や子孫に戻ってくる。私は「たたかうおばあちゃん」をばらまいておくと、いつかその人が介護する立場になったときに役にたつ、と思って「種を蒔く」を解釈している。現実にこの間も「義父の介護に通っています。『たたかうおばあちゃん』を読んで、義父にも気長につきあうしかないなと思っています」というはがきが来た。ばあちゃんは、亡くなったあとも、ひとの役にたっている。