老いの未来図:介護・医療の現場で 第2部/8 デイサービス・井戸端げんき /千葉 

 毎日新聞8月26日 市民福祉情報・オフィス・ハスカップより
◇弱さ受け止め「共同体」 家庭のようにのびのび過ごす
 午前10時過ぎ。JR木更津駅西口からほど近い「井戸端げんき」を訪ねた。NPOが運営。家庭的な雰囲気で、ひとりひとりの生活のリズムにあったケアを行う小規模な施設だ。似たような施設は「宅老所」と分類されることもある。
 路地の奥にある木造2階建ての民家を利用した建物は、とてもデイサービスの「施設」に見えない。鍵の開いた戸を開き、玄関で靴を脱いで中に入ると、利用者が夕方まで過ごすという8畳間2部屋をつなげた広い畳のスペースに案内された。
 ソファ、テーブル、テレビ、仏壇などが置かれ、窓から朝の光が差し込む風景は、まるで誰かの家のよう。そこで十数人がくつろいでいた。半数以上を占める利用者のお年寄りは見分けがつくが、ほかの人たちはスタッフにしては数が多く、誰が誰だか区別がつかない。乳児の姿もある。
 けげんな表情をしていると、施設長の加藤正裕さん(32)が「スタッフ以外はボランティアで、赤ちゃんはスタッフの子ども。ここは『社会の縮図』。いろんな人が一緒にいるのが自然で、年寄りだけ集めるのは逆に変でしょう」と説明してくれた。
 「なるほど」と改めて部屋を見ると、めいめいがてんでんばらばらのことをやっている。歌を歌う高齢女性もいれば、黙ってテレビを見る高齢男性もいる。開放的な空間で、利用者はそれぞれのびのびと過ごしているように見えた。
  ◆  ◇  ◇
 昼食の準備が始まった。皆で机を動かし利用者に移動を促していると、穏やかな空気が一変した。70代の認知症の男性が、掘りごたつから立ち上がろうとしない。以前通った施設でも、問題行動を起こし受け入れ先がなくなった経緯がある。
 仕方なく、数人がかりで脇を抱きかかえると、男性は突然、スタッフを足でけり飛ばした。部屋は一瞬、騒然となる。
 なんとか説得し、着席させ、食事が始まったが、男性はぶぜんとしたまま。ところが、手渡された赤ん坊を抱きかかえると、表情がやわらぎ、しばらくすると、何もなかったように笑顔を浮かべ始めた。女性スタッフの一人がささやく。「あの子はスーパー介護士。みんな子どもや孫がいますから、触れ合うと喜ぶんです」
  ◆  ◆  ◇
 「あのおじいちゃんだって苦しいんです。変わっていく自分と戦っているんですよ」と語る加藤さんだが、自身も順風満帆の人生ではなかった。20代は通信会社に勤めたりしたが、肌に合わず職場を転々とし、身の置き所に困った末にたどり着いたのが井戸端げんきだった。
 ほかのスタッフも、離婚し3人の子連れで面接にのぞんだ女性や、障害者など背景はさまざまだ。利用者・スタッフ双方が「生きづらさ」を抱えているがゆえ、かえって気持ちが通じ合う−−加藤さんはそう考えている。
 男性が起こしたような出来事は日常茶飯事というが、気がつくと、ほかのスタッフの表情もやわらぎ、ソファで利用者と談笑している。加藤さんも「あんなにみんな囲んだらそりゃ暴れるって」と話し、周囲にはのんびりとしたムードが漂った。
 互いの弱さを受け止めているからこそ、相手の行動も許すことができ、「問題」が問題にならない、と考えることもできる。
 「僕らとここのお年寄りは『共同体』。どうしようもない僕もまた、ここにいることで生かされている」。加藤さんはそう語り、さらに強調した。「介護とかケアとかいう言葉は好きじゃない。僕らは人間関係の中で、家族のようにただ『面倒をみている』だけなんです」
  ◆  ◆  ◆
 加藤さんの話を聞きつつ、ふと、一部始終を遠巻きに見つめていた男性(59)の存在に気付いた。何をしているのだろうか。
 聞けば、「君津市内から毎日通うボランティア」で事務作業を多少手伝っているようだが、積極的に何か手伝うわけでもなく、テレビばかり見ている。通う理由は「駅から近いから」。
 どうにも謎めいた存在だが、それでも役に立たないからと排除はしない。むしろ何もしない人のおかげで空間に「隙間(すきま)」ができ、誰もが「ここにいてもいいんだ」という雰囲気が出るのだという。「そこにいるだけ」というボランティアの形もある。一人一人は微力でも、そうした力を束ねれば、相当なマンパワーになる。
 ボランティアのおかげで人件費が削減できる。施設内は車いす移動できないが、職員らに抱きかかえられて移動するため、器材の設備投資も抑えられる。今のところ経営は良好だ。利用料は月平均約13万円だが、本人や家族の経済状況に応じた額での利用も相談に乗るという。
 午後のひととき。洗濯物をたたむのを利用者の女性が手伝ったり、歩けない女性がスタッフの手を握り自立歩行にチャレンジするなど、家庭さながらの光景が続く。時計の針はあっという間に午後4時半を指した。=つづく
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 ◆民家などを活用した「宅老所」  毎日新聞8月27日
 ◇共に歩く道選び 嫌われても気力なくされても励まし
 木更津市の住宅街。こぢんまりした2階建ての民家にあるデイサービス施設「井戸端げんき」の終了時刻は、利用者家族のそれぞれの事情に応え、特に定めていない。記者が訪問した8月中旬のこの日は残った6人は全員泊まりで、午後4時を回るころ、車で5分ほど離れた宿泊所「かっぱや」に向かうことになった。
 ところが、70代の認知症の女性がなかなか立ち上がろうとしない。彼女は別の施設でも、次々と職員に話しかけ「業務に支障が出る」と利用を拒否された経験がある。
 施設長の加藤正裕さんが動いた。「ねえ、僕と一緒に行こうよ。ねえ」。子どもを怖がらせるような声で手を引く。「いやだ!」。女性は声を上げ手を払う。すかさず、別の20代の男性スタッフが、さわやかな笑顔を浮かべ登場。「ほら、僕と行こう」。肩を抱かれた女性は、驚くほど素直に立ち上がり玄関へ向かった。
 「なるほど」と記者が感心していると、加藤さんは「ばあちゃんは僕のことを嫌いだから、こういうこともできる。まあ、嫌われるのも人間の関係性ですし」と、やや寂しげに解説してくれた。
  ◆  ◇  ◇
 「かっぱや」も「井戸端げんき」同様の2階建ての民家で、1階のリビングと各部屋が寝泊まりのスペース。この日は今年一番の混み具合で、15畳程度のリビングは、3台のベッドでかなり狭い。利用者は、椅子やベッドなどに腰かけ、夜が更けるまでテレビを見たり、スタッフと遊ぶなどし、時を過ごす。狭いが、のんびりムード。三々五々入浴し、湯上がりのさっぱりした姿が増えていく。
 移動を嫌がっていた女性もソファでくつろいでいた。加藤さんは「ばあちゃん、おれのこと嫌いだもんな」とすねたように絡む。「ああー、うー」。女性はしばし言葉にならない返事を発し続けていたが、そのうち、はっきりと聞こえる声で、一度だけこう言った。
 「あんたはよくやってるよ」
  ◆  ◆  ◇
 現実は心温まる現場だけではない。
 車いすに座る別の70代の女性利用者は、誰とも話さず、硬い表情で白髪頭を垂れたままで、伏し目がち。最近は食事を拒否することも少なくない。「ねえ、もしかして死にたいと思ってる?」。低い位置から加藤さんが静かに語りかける。「いいかげんあきらめなよ。そう簡単にはいかないものだって」。万一に備え、スタッフはできるだけ話しかけるようにしている。
 翌朝6時過ぎ。皆が目を覚ますが、布団から起き上がらない男性がいる。昨晩、周囲の会話をにこにこ笑って聞いていた人だが、どうも、便を漏らしてしまったようだ。
 その場でおむつを替えられた男性は、立ち上がる際、鬼のような形相で介助の手を振り払い、足をじたばたさせて抵抗した。
 少し落ち着きが戻ると、別室でほかの利用者と一緒に朝の食卓へついたが、悲しそうにまなじりを下げ、食事も手につかない。結局、この日は笑顔は戻らなかった。
 「年を取ると、生きる気力がなくなっちゃうんです」。両施設を運営するNPO「井戸端かいご」理事長の伊藤英樹さんは、こうした高齢者の状態についてこう説明する。「励ますことで、かろうじて本人に『生きてていいかな』と思ってもらえる。うつとか病気とかじゃなく、老化ってそういうことなんです」
 夜が明けた。寝間着を着替え支度を終えると、午前8時。利用者は再び車でデイサービスへ戻っていった。
  ◆  ◆  ◆
 深夜、記者はお年寄りたちと横になり、深い眠りに落ちてしまったが、その間、利用者たちはむくむくと起き上がり、独り言を言ったり、「ここはどこだい」と尋ねるなど、一騒ぎあったと後になって聞かされた。
 加藤さんは「大変だったんですから」とこぼすが、その言葉に、重労働に取り組む悲愴(ひそう)感は感じない。「一番大事なのは、年をとってからまわりに人がいること。お互いの生き方に振り回されること」。施設長は介護にのぞむ考え方を力説する。
 「振り回された」体験なら伊藤さんも負けない。妻のお産の連絡を受けたのは、施設を抜け出し、徘徊(はいかい)する男性に付き合っている最中。男性とそのまま病院に駆けつけた。
 個人を大切にし、自分の生きたい人生を謳歌(おうか)する価値観の定着が、介護保険制度が生まれた背景にあると伊藤さんは考える。
 「個」を追求する社会の中で、かつて地域にあった助け合いや、支え合う機能はむしろ低下している。
 しかし、伊藤さんたちはあえて、振り回される道を選んだ。
 「奥さんのお産に付き合ってもらったのは、一緒に外に散歩に出ていたから。一緒に外に出たのは、徘徊(はいかい)を防ぐため、多くの施設で行われているように、カギをかけたくないから。僕らはドアにカギはかけない。共に歩いていきたい」
 老いの未来に向けた伊藤さんの決意だ。=おわり(この企画は森有正と黒川晋史が担当しました)
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 ◇生活スタイルに合わせてケア
 今回紹介した「井戸端げんき」のような介護事業所は「宅老所」と呼ばれる。利用者が同じ事業者から一律のサービスを受けたり、数あるメニューからサービスを選択するような従来の「定食型」の介護とは異なり、民家などを活用した家庭的な雰囲気の中で、利用者が従来送っていた生活スタイルに合わせた柔軟なケアに取り組んでいる。
 デイサービスを中心に、宿泊、自宅訪問、住居(グループホーム)などさまざまなサービスを組み合わせる事業所が多い。井戸端げんきも、通所・宿泊のほか、個別訪問にも積極的で、本人や家族と交流を深めることで本当のニーズの把握に努力しているという。
 起源は80年代半ばごろ、規模の大きい特別養護老人ホームでは受け入れられない厳しい状態の認知症高齢者も安心して過ごせる場を作ろう、という介護経験者らの草の根の取り組み。介護保険制度導入前の98年に宮城県が実施した全国調査では、当時すでに約600の事業所があったが、宅老所の定義があいまいなこともあり、現在の実数は定かではない。
 06年の介護保険法改正は、通所・宿泊・訪問を組み合わせる小規模多機能型居宅介護などの「地域密着型サービス」に対し、市町村が介護保険からサービス費を給付する内容が盛り込まれ、国も「宅老所」的なサービスに一定の配慮をするようになった。新たな介護のあり方として関係者の期待も高い。

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