「今、介護は無限と思えるようになって」

 発表者は群馬県の石坂文枝さん。90歳の義母を介護中だ。
 「『ズボンがないんだけど』『着てゆくブラウスがないんだけど』『ここに入れて置いた三千円がないんだけど』『誰か部屋に入って衣類を持っていった』」
 一緒に探してあげて「『おばあさん、あったヨ、良かったね』と言うと『そうやって人の物を黙って使って、解らない様にしまって困らせるんだから、まったく悪いやつだ』と言い返す。どんな時でも自分が正しくて、人が悪いと、巧妙な説明やシャベリで説得にかかる。」
 「絵に描いたような認知症」とはこのことだ。「そうそう、そうなのよ」とあちこちで、同感の声が聞こえてきそうだ。
 石坂さんのお母さんに認知症の症状が出始めたのは、76歳のころだそうだ。脳神経外科を受診すると、頭の前のほうに腫瘍があり、それが神経を圧迫している。悪性の物でないので、手術をしなかった。介護保険が始まり、本人に解らない様に介護認定を受けると「要支援」、その後、自分の生年月日、四季などが理解できなくなり、身の回りのことができなくなっても「要介護2」だった。このころが家族にとっては一番大変な時期だったと言う。こんな状態が10年以上続く。
 認定とはこんなものだろう。うちのばあちゃんだって、自分の生年月日は言えないし、四季もわからない、身の回りの事もできないし、似たようなものだ。脳の検査をしたことがないから、中の状態はわからないが...「要介護2」だが、この認定でデイサービスもステイもかなりの日数を使える。認定があがれば、料金もあがるので、このままでよいと思っている。
 石坂さんのおばあちゃんは、2年前に脳梗塞で入院する。半年経って、だんだん悪くなり、話しかけても相手が誰だかわからなくなった。入院費もかかる。
 そこで、家族の会の「自宅に引き取ったら」の勧めもあり、在宅で介護することになる。すると、状態が少しずつよくなってきたのだ。3ヵ月たつと、言葉がはっきりし、「畑に行って来るよ」と言えば「気をつけての」と答える。これはすごい。「自分が一番偉い」と思っていたおばあちゃんが、相手を思いやるようになっている。時計も読み、子供の名前も出てくる。褥そうもなおった。「何より病人の顔が消え目の表情に魂が入ったという感じなのです。それとともに私にも気持ちの余裕が出てきました。」と書いておられる。
 そしておばあちゃんの介護経験を生かし、実の姉を看取る。「おばあちゃんのお陰でお姉さんの世話ができたよ」と言うと「そうかい」と答える。
 石坂さんのしめくくりは「いろいろな意味で母に勉強させてもらっているのかな...介護は無限だと、今でこそ思えるようになりました。この財産を大切にしたいと思います。」
 偉いな。私は無理だ、まだまだ。ばあちゃんが「ありがと」と言うと「ステイと間違えてるな」と思うし、芋掘り有馬温泉ツアーを覚えていて「ぎょうさん来て、芋、とって帰った」と言うと「情けないな。被害妄想ばっかりや」と思う。