園芸療法

 ばあちゃんを迎えに行くと、職員相手に怒っているばあちゃんをしかりとばさねばならず「もう二度と行くもんか」と思う。が、こんな時でないと、中の様子が見られない。また、玄関に置いてあるアルバムや印刷物を見るとおもしろい。
 苑便りに「園芸療法」が紹介されている。施設利用者が中庭の畑に植えた薩摩芋を収穫している。太いのが少し、細いのが多数だ。あはは。「焼き芋サイズだ」と言っておけばいいさ。ちゃっかり焼き芋パーティをしている。
 園芸療法の効果が書いてある。三つもあったが、忘れた。要するに「癒し」だ。若いときに百姓をしたことがない人が、やるならいいさ。今のうちの「小作人」がそうだ。「年貢は要らない。草を生やさないようにお守りしてくれたらいい」と言うと、夫あてに珍しい銘柄の焼酎が届くからラッキーだ。
 しかし、ばあちゃんは、嫌いな百姓を嫌いな姑としてきたから、今になって破綻したのだ。園芸療法は通用しない。百姓だった人に、施設の庭いじりなんかさせると「ちゃんちゃらおかしい、おままごと」と言うだろう。