「自閉症だったわたしへ」

 ドナ・ウィリアムズ著 河野万里子訳 新潮文庫 2005年
 「訳者あとがき」によればこの本は1993年に日本で翻訳出版されている。その前年にイギリスで出版されるや「タイムズ」「デイリー・テレグラフ」「サンデー・タイムズ」「オブザーヴァー」など各紙で絶賛され、全米とオーストラリアでもベストセラーになった、とある。2000年に文庫版になったそうだ。
 私がどこの書店でみつけたかは忘れた。買ってからしばらく眠っていたから忘れたのだが、買うときは手にとるなり「読まねば」と思ったのだ。「自閉症」と診断された子供には私が教師になったはじめのころから何人かに出会った。「親の育て方が悪かったから」と言われた時代もあった。が、そうではない。私は「脳のどこかに小さな損傷があり、それで他人とのつきあい方がわからないのだろう」と思っていた。
 中にはとんでもない才能を持った子供もいて、しんちゃんは「Iは僕。自分の顔を描いて」というと「丸い顔、丸い目、三角の鼻」を描いた。幼い子供が描いた絵のようだった。「Youはあなた」になると、鼻がリアルに描けるようになり「My family」になると家族の顔を描き分けた。まるで初めて自分とまわりの人とを見比べて見る、描くことを経験したみたいな進歩の仕方だった。「My room」になると自分の部屋を上から見て、机も本棚もベッドも描きこんだ上に、畳の目まで重ねて描いてしまった。ここまでくると、どういう「目」なんだろう?と思ってしまう。
 私の同僚の先生は、かず君にカレンダーを覚えさせ「今年の○月○日は何曜日?」と訊いてはあてさせていた。そのうち「去年」を訊いてもあてられるようになり、好きな野球の試合も克明に記憶するようになった。彼を朝礼台にあげて「去年の○月○日は何曜日?」「高校野球の優勝戦はどことどこ?」とやったものだから、それまで「かず君は何にもできない子」と思っていた「普通学級の普通の」同級生達はびっくりぎょうてん! 「すごい記憶力だ!」とあきれかえった。それでも、この二人とも、他人とじかに話すのは苦手で、教科の勉強も苦手だった。
 ドナは小さいころから「ばか、きちがい、異常、世間知らず、人格障害、まったくのつむじ曲がり」などと呼ばれてきた。実は自閉症だったとわかるのは大人になってからである。ドナは自閉症を「身体と精神は健康であるのに、情緒を司るメカニズムだけがどこかうまく動かなくなって、自分を充分に表現することができない」と説明している。この本はそんなドナの心の旅である。しかし、読めば読むほど難しい。