クリスティ−ンさんのプリントを見る

 クリスティーンさんはアルツハイマー病になってから、ポールさんと再婚された。二人で日本に講演に来られたときのこと、パーティのテーブルで、クリスティーンさんがポールさんに「あなた、日本ではこういうとき、皆さんにビールをついでまわるのよ」と言い、ポールさんはついでまわった。ものの数分たたないうちに、クリスティーンさんがまた「あなた、日本では...」と繰り返し、ポールさんはまたつぎに行く。
 ケア。身内と他人の差。家族だからできること。「あほ!」と言うこと。これは我々にはできない。(聞く人、どっと笑う。ほんまや!だって、ええかげん、腹たつもん byすもも)しかし、家族だから虐待してしまう。したくてしているのではない。虐待する家族のほうもぼろぼろになってしまう。これが認知症ケアの大事なところ。認知症の本人も支えないといけないが、家族も支えないといけない。
 初期。本人は「あれ?」ととまどう。混乱し「何かが違う」と気がついている。「なんでかな?」と思いながら相談ができない。この時期は重要なのに相談ができない。家族に言うと「そんなこと、気にしすぎよ」「誰でも起こるよ」と言ってしまう。やっと言えたのに、こう返されるととまどう。「どうしたの?お父さん」と言われると、わかっているので、カッとしたり、暴力をふるう。ここが大事なときなのに、向き合えないからバーッと進む。
 中期。もう「つくろう」ことができない。家族がもっと混乱している。幻覚や妄想が出てくる。
 深〜い認知症になるとケアはしやすくなるかも知れん。笑顔になればいいが、何の笑顔もない状況になるかも知れん。それがどこにあるかわかりますか?精神科病棟ですよ。み〜んな精神科、み〜んな薬づけ。もう問題行動すら起こせない。人間が人間でなくなる。手を焼いて「もうあの人、どうにもなりません。精神科に入院したらいいと思います」と言う。それが他の職員に伝染して「そうだ、そうだ」おまえらもか?「入院?この姿はもう二度と見られなくなるよ。もう二度と会えん。(べつの人間になる?人間でなくなる?)それでもいいなら、お前らが決める」と言うと、ドキッとする。(これって、施設が決めていいの?家族の気持ちはどうなるの?)「僕らが最期の砦。何のために僕らがいるの?家族に頼まれたんでしょう?」