武内孝仁著「認知症のケア」年友企画 2800円+税

 武内先生は「認知症はなおる」と言っておられる。「なおると思ってケアしないとケアとしてなりたたないぞ」すごいおもしろい先生だ。三好春樹さんの師である。(私は講演を聞きに行った。そして「隣に座っている初対面の人と話せ」と教えてもらい、実践している。あはは。だから「たたかうおばあちゃん」を配る)
 武内先生は認知症を分類する。分けてどうする?と思うが、分けるとケアの内容が変わる。すべて賛成ではないが、使えるところもある。
 この本にあるのは 1.基礎知識の習得 2.アセスメント 3.ケア実践技術

 (なんか、私達、今日はリラックスして聞いているのだ。「まず 1.の基礎知識。家族に聞いてみよう」と安永さんがマイクを持ってくる)「まりもさん、どうぞ」「うちの父は朝、5時に隣に寝ている母を起こし、言いました」内容は秘密だ。
 「認知症と言うけれど、そもそも『認知』とは何か?」(うん、それなら言える。にこにこすると安永さんが私にマイクを持ってきた)「ここにAという物があるとして、これがAであることを知る」(どう?と思うまもなく、安永さんはホワイトボードの方に行ってしまった)
 「西宮の介護家族はバリバリである。一癖二癖十癖もある。(ん?合格した?)すももは昨日は『ベターケアにのった』と本を持って来たが、本は自分で買い占めてもう残ってない。今日はコピーを持ってきている。(そこまで言うなよ)
 去年、函館山に行き、ロープウェーの手前でKさんが怒って、とっとっとっと、行ってしまった。皆はロープウェーに乗ってしまう。また『安永さ〜ん、頼む』だ。私は見えないようについて行く。彼は確信持って歩いて行く。病院に入る。トイレに入る。私も入る。彼が出る。またついて行く。だんだん歩くスピードが落ちてくる。『ここは知らない土地で、どこに行くかわからない』と思い始めるころ、タイミングよく『あら、Kさん、奇遇やねぇ。私、これから帰るんやけど、一緒に行こう』『おう』」
 家族につきあいなさい。だいたい、ふだんはスピード、のろのろ。行くときはピャーッと、ローからハイに切り替わるみたいな...ものの10分で、そこらにおらん!(思わず「そうそう!」と言ってしまう)だいたい、いなくなるときはどっちに行くと思う?統計として確率として、市街地には向かわない。田・畑・森に向かう。(えーっ?それは怖い)曲がり角に来て、どっちに行ったか?探すときは、さびしい方に行く。亡くなっているのはどこか、わかる?(池!じゃない?)池・川辺・森。(あ〜、あたった。マイク、貸して)「うちの近くの人が出て行ったまま、まだ見つからないんです。人は『早う言わへんからや』言うけど、私のように早くから言ってると、近所のおじさんが『ちゃんと見てへん、あんたが悪い』と頭、たたいてきます。そんな中で、やってるんです」(まったく、どうしろと言うの?)

 次は2.のアセスメント。「いつ、どのような状況で」
 たとえば「すぐ怒るんです」「いつも怒ってるの?」「いえ、夕暮れどき」「どんなこと?」「家に帰らな、いけんのに」きっかけが見え隠れする。それは夕暮れ時は職員の「そわそわ」が伝わる。ことばでいいこと言っても、心はうわの空。「家に帰ったらご飯は...」と家に飛んでる。
 またNさんの話。「Nさ〜ん」「ちょっと、ここ来て」方耳が聞こえないので聞こえるほうに行く。「あんた、どこ、行ってたん?」「ずっといたよ」「なんか、いいことしてたんやろ?」「な〜んも」「なんか、食べとる?」「黒飴、食べる?」「ええの〜?」ばあちゃんたちは黒飴が好きなんよ。
 うまがあわん人とはあきらめる。うまがあわん人もおる。無理しないで他の人と代わる。夜勤のときはそうもいかない。顔を見せない。後ろから行って背中をさする、肩をもむ。気持ちよさだけ伝える。歌を歌う。
 その人に向き合うようになって変わったものは?声!この人だけに聞こえる小さな声。うっとうしくなると声がでかくなる。本人は気がついてないが、余裕がなくなると声が大きくなる。
 (突然、安永さんが私を見て)「ガーッとばあちゃんに言っとるやろ?目に見えるようだわ」(笑いの渦!ちょっと待て!マイク、貸して)「でもね、ガーッと言ったあと、トーン落として『なぁ』と言えるようになった。それは安永さんのおかげで、ベターケアのおかげやけど、ちょっと落として静かに言えるようになったんです」(とたんに拍手!後ろから。安永さんは)「家族もたたかってるんです。それは...ひとはやさしくなれる。でも無条件にやさしくなれない、少し、やさしくなれる」(とホワイトバードに書く。はぁ〜?そんなええもんとちゃう。やさしくはならないが、テクニックとしてできる。ガーッと怒った時点で、私の怒りは消えているわけで、途端にトーン落とすと、ばあちゃんも途端におちつき、しずまるのだ)
 認知症があろうが、なかろうが、自己表現している。理解しようとする心があるかないか。
 「説得より納得」がアルツハイマー型・脳血管性型のどちらか、もうわかったかな?(まりもちゃんと顔を見合わせる。アルツハイマー型よね?脳血管性の人は、壊れていない部分があるから、説得したらわかってくれるんじゃないの?)「あたり。アルツハイマー型。説得しても無駄。その人の気持ちを納得してあげること。

 ここで3時の休憩。さっき、安永さんが言ってくれたので、まるちゃんに言ってもらう。「ここに『ベターケア』のコピーが10部あります。どうぞ、怖い物知らずの人はもらいに来てください」とんでもない。またマイクをもらって「怖くありません」と言うと、次々に「ください」と来てくれた。「新聞で今日の講演会を読んで来ました」と言う人は「握手」まで求めてきて、あとから聞くと、まるちゃんと話がはずみ「来年は北海道車椅子の旅に行く」まで決めたそうだ。すごいやん。私がまるちゃんに「出演料ほしい」と言うと、あろうことか、まるちゃんはマイクで「出演料よこせ、言うとります」と!「講師のマイク、取ってしゃべって、出演料とは?これで当分、笑える」またネタにするん?