「どんなふうに死にたいか?」

 などと長尾先生が尋ねるものだから、講演会の帰り道、一緒に帰った人が言う。
「父を介護しているから、私が残るのが一番いいよね。でも、そんなにうまくいかない。私が一番先に死んで、母が死んで、父が残るというのを考えたの。父は、最初は目の前にいない人を探すだろうけれど、そのうちにあきらめて施設の職員に世話してもらって、案外落ち着いて、長生きするんじゃないかな?」そうかも知れない。
 私は考えつかない。「のたれ死に」はいやだ。残されて探し回る家族がつらい。病院で「死にたくない〜」とわめきちらすのもいやだ。「人間、いつかは死ぬのよ」と言われても現実味がない。ある日突然、命を奪われそうになって危機一髪で助かったら、もう何も思いつかず「こわい」だけ。
「たたかうおばあちゃんの写真、かわいい」と言われても、笑顔の蔭では「紙パンツがないと暮らせない」ばあちゃんの現実がある。「そこまで書くか?」と言われても、隠していても事実は事実。「ありがたい」紙パンツに今日もお世話になっている。わが市では「家庭ごみを集めるステーションで計量し、ごみを減らす自覚をしてほしい」そうだ。紙パンツなんか捨ててごめん、と思うけれど、なければやっていけない。なんか悲惨や。笑えないな。