障碍児教育の3先人の思想・近江学園

 滋賀県には障碍児の教育で有名な先生がおられる。私は不勉強で著書すら読んでいないが、糸賀一雄・田村一二・池田太郎先生である。
 「この子らに世の光を」ではなく「この子らを世の光に」である。
 障碍のある人も、命と働き(役割)が認められ、人として感じられ、つながっていく、そんな豊かな社会になっていくこと。
 もちろん障がいのない人も、つまり誰もが「世の光」となって、共に助け合って生きていける、そんな成熟した社会をつくるということ。
 溝口さんの学生時代に糸賀先生は亡くなられ、田村先生に教えを受けられたそうだ。この3人の教えは
「共に生きる社会」
 糸賀先生は「どんなに障碍が重くても発達する権利」「主体的に生きる権利」「社会的に生きる権利」
 田村先生は「混然一体となった暮らし」「水平な関係」「共に生きる」
 池田先生は「障碍ある人 ない人の共育共働」「仕事を持って生きる」「街で働き暮らす」

 田村先生の教え「穴太積み」(あのうづみ) これは庭やお寺の生け垣にある石の積み方で、どこにでもある石を、無造作に積んであるように見えるが、じつは積むのが難しく、一人前になるには20年ぐらいかかるそうだ。「小さい石・不恰好な石・・・どれも捨てず、削らず!」「どの石にも役割がある。どれがかけても成り立たない」「補い合い・支え合う 共に生きる社会」
  
 ところで、普通「障害」と書かれるが、人に「害」を与えるのではない。「障がい」でいい。「碍」の字は韓国語に通じるのだそうだ。でも「字を変えても事実が、社会が変わるわけではない」という考えもある。私もそう思う。