「記憶」と認知症

認知症になると 記憶が消えていって 何もかも忘れてしまうのかな?
 大切な人のことまで わからなくなるのかな?

記憶が消えていくのかどうか 確かな証拠はありません。
 そもそも、記憶できたのかできなかったのか、記憶が消えているのか残っているのか、確かめる方法は「思い出して」もらうことしかありません。《これが記憶の難しさ》
 「思い出せない」ということが、単に思い出せないだけなのか、記憶自体が消えてしまったのかを、私たちに判断するすべはないのです。《思い出せなかったという事実しかない》
 ですから、無責任に「記憶が消えた」というようなことは言うべきではありません。

*記憶が、脳の倉庫の中に、古いものから順番に積み重なってしまわれているとは考えにくいです。
 もしそうなら、古いものほど引き出しにくく、思い出しにくいと考えるのが理にかなっています。
 アルツハイマー病などの場合は、逆に古いことほどよく思い出します。古い記憶は消えていません。(この病気は新しいことが覚えられなくなりますが、それも、覚えられなかったのか、覚えたけれど思い出せないのか、確かなことはまだ解っていません)
 《海馬は記憶を入れるところと思われていたが、今は、海馬は記憶の引き出しではないか、と考えられる。新しいことはあまり引き出したことがないので、引き出せない。古いものは、何度も引き出したので出やすい。それで引き出しやすい過去に生きる、と思われる》

*記憶されたものは、繰り返し引き出されていたものほど思い出しやすいと思われます。
 繰り返し何度も思い出されていた古い記憶ほど思い出しやすいと考えるのが自然です。
 通常、大切な人のことは繰り返し思い出しているはずです。ですから、そういうことほど「覚えている」と考えられます。(しかし、その時の脳機能の状態で、思い出しにくくなっていることはありえます)
《寝たきりアルツハイマー病の人でも、妻や子の声は覚えています。僕はいつも診察しているのに覚えてくれてない。ちょっと嫉妬しますね》

*昔の出来事で強い印象に残っているものは、思い出しやすいと考えられます。
 《だいじな人の記憶は消えない。嫁の名は忘れても、孫の名は覚えている。それだけ、強い印象なのだ》
 夫の浮気で、ひどくつらい思いをしたことのある奥さんがアルツハイマー病になり、夫が急にいなくなったと感じた時に夫が浮気をしていると解釈する(嫉妬妄想)ことがよくみられます。思い出しやすいからと考えられます)《嫉妬妄想の例が25あって、その夫の全員が浮気をしていた。奥さんは苦しんでいたのだ。「不安」がある。若いときに強い出来事を与えないほうがよい。年とったときに出てくる》

昔からそうだったけど 認知症になったら ちょっとのことでもすぐに私を叩くようになった。
 どうやって受け入れていったらいいのかしら?

*70歳女性
 10年前から4歳上のアルツハイマー病の夫を介護。夫は厳しい人で、夫のやり方に口を出すとよく平手で叩かれた。
 病気になってから、イライラするとすぐに妻を叩いた。怒りっぽくなって叩く力も強くなった。
 脳外科医を受診し、認知症の診断と暴力の改善を求めた。診断は「痴呆」暴力は痴呆だから仕方ない、叩かせてやりなさいと言われた。何を聞いても「痴呆だから仕方ない、治しようがない」と言われた。友人のアドバイスでデイサービスを利用するようになった。デイサービスではおとなしくして「いい御主人ですね」と言われていた。その反動か、家での苛立ちと暴力がひどくなった。また、デイサービスから帰るとつかれて寝てしまい、かえって夜寝ないようになった。
 9年間耐えたが、どうしてもつらくて友人に相談したところ、当外来を教えてもらい受診した。
 少量のテグレトールで、ほぼ2ヶ月で穏やかになった。
《脳外科医は知らない。脳の形しか知らない。働きは知らない。「傷つけてもいい」と思っている。もっとも思わなければ手術はできないが》
{これは、ある、ある、話だ。「暴力は痴呆だからしかたがない」なんておかしいが、医者にはわからない。また「デイでは良い子を演じる」なんて、幼児なみだが、デイの職員には見破る力がない。この奥さん、耐えなくてもよかったのに。でも、わかってくれる医者がいないんだよね。つらかったね。悲しいね}

*この方は、色々の本を読み漁りました。
 認知症の人が怒るのには、必ず何か理由があるから、それを見つけましょうと書いてありました。
 別の本には、刺激しないで優しく接しましょうと書いてありました。
 そのとおりに色々とやってみたけれど、効果はその瞬間だけで、すぐにまた同じことの繰り返しになりました。
 自分のやり方が悪いと思いました。実際、デイサービスではスタッフが優しく接しているので穏やかでした。
 自分を責め、占いや宗教家に相談したら、前世が悪い、お払いしろと言われました。そうしたけど効果はありませんでした。
《「優しくできないのは私が悪い」と思っていたのですね。ずいぶんお金を使ったでしょうね。けっこういますね、こういう人。この人は「先生は優しいですね」と言ってくれました》
{いますね、こういう人。まるちゃんなら「よしよし」してくれますね。ぎゅっと抱きしめて一緒に泣いてくれるかも。占いと宗教家はだめですね。デイのスタッフが優しいから穏やか、というのが無いわけではない。今のばあちゃんの段階なら、優しい人に手をつないでもらってにこにこ帰る日がある。昔の「ばりばり」怒りんぼのときは、帰るときに「わかるか!」と言って家に入り、壁をバン!とたたいたから、まず「こら!」と叱って「たたくな!」と止めて「静かにして!」と止めると、シュンと穏やかに、それこそ、ストン!と落ち着くのだった。ばあちゃんだって怒ると疲れる。止めてほしいのよ。つきものが落ちたように静まって、おやつを食べたらもう怒るのも忘れたものだった。それをスタッフは知らない}

暴力を受け入れなくてはならない理由などあるでしょうか?
 脳機能が低下すると、当然、性格による行動パターンにも色々なゆがみが現れます。
 元々の性格の極端化という形もよく見られます。
 認知症疾患にかかった人が、皆暴力的になるのではなく、元々の性格が原因となっていると思われることが多いのです。
 極端化した性格の困った行動まで、受け入れる必要などないと思います。
《叩かれていいということは絶対にない。家庭内暴力はだめ。止める。叩かれる人はつらい。でも、叩いている人も辛いのだ》
{そのとおり。ばあちゃんだって、怒っているときは、止めてほしいのだ。自分で止められないのだから。元々の性格の極端化、というのは「人間、年をとって丸くなるというのは嘘。ケチはますますケチになり、エッチな人はますますエッチになる、てなもんかな?}