みかんの皮

 先週、和歌山の弟がふすまを持ってきたとき、おみやげに清見オレンジ三宝柑をくれた。仏様に供えたあと、箱ごと仏壇の前に置いていた。ばあちゃんが覗いているので、一つ渡した。「ほ〜ぅ、こんなん、くれてのん?ふ〜ん」とえらく感心している。
 普段、こんな大きな蜜柑は食べないのだ。一人で食べたら、しかられると思うのだろう。でも、食べたのかな?見あたらない。ごみ箱を見ると、皮が捨ててあった。食べたのだ。昔のように「食べたらしかられる。皮を捨ててこよう」とポケットに隠して、山や川へ捨てに行かなくなって助かる。
 今日、見たら、皮が増えている。三つ分はありそうだ。自分で箱から出して食べたのだろう。「ばあちゃん、皮をごみ箱に捨てたらあかんよ。薮に捨てて、竹の肥えにするのよ」と言うと「そうだっか。知りまへんでした。これからそうします」と言う。ご立派!受け答え。