「夢への階段・原寿雄(元共同通信記者)・22」「ジャーナリズム列伝」朝日新聞8月26日(金)夕刊

 もの言う人、原寿雄の86年をたどると、農作業で鍛えた足腰に、品川駅改札掛もした手があり、かつて海軍にあこがれたハートに、考え続ける頭がのっている。
 計4年半っも労組役員をして「ジャーナリストになり損ねた」と言う。ただ、ジャーナリズムについては語り続けてきた。
 最初の本「日本の裁判」にこう書いた。
<裁判は裁判官のものではない。私たちは裁判をほんとうに国民のものにするために、もっともっと裁判批判を高めなければならない>。同じことを、ジャーナリズムについて、してきたといえる。
 ジャーナリズムって何だろう。かつて鶴見俊輔は<同時代を記録し、その意味について批評する仕事を全体としてさす>と書いた。いまの原は「社会人として生きてゆく上でみんなに必要な情報を収集、編集して日常的に提供する活動」という。
 「私のジャーナリズム論の先には、人間社会の理想に近づくという夢がある。そういう意味で、ジャーナリズムは思想であり、運動であり、夢への階段。理想社会を目指すこともない現実主義のマスメディアを、私はジャーナリズムと呼びたくない」
 原が最も大切にするのは、「自由」。とらわれないこと、寄りかからないこと。または、少数者の言論を尊重すること。そんな意味合いで使っているようだ。
 「進むための自由なんだよね」。そう言いつつ、「自分は本物の価値観に到達したと思った瞬間に、すぐ疑ってしまう。ついていってしまうことへの怖さが常にあって」。戦前の自分への反発は消えない。
 組織にいる間は競争意識から抜けられなかった。ようやく「ジャーナリズム界も突きぬけて、社会全体を見て考える自由人になれる可能性が広がった」。本を読んで考えることそのものを楽しむようになった。
 議論を交わすことが好きだ。27日には、上智大学名誉教授の石川旺(さかえ・67歳)上智大学教授音好宏(49歳)ら、「原塾」の仲間と家で原発報道の研究をする。
 そんな風にあれこれ自由を夢見ているうちに幕が閉じるだろう、と言う。「ジャーナリズムのしっぽをつけたままかもしれないけれど」(編集委員・河原理子)