再現ドラマつづき

 8時52分「1年後」である。パジャマ姿のお母さんがシーツを持って、どこに処理しようかと迷っている。ガラス戸を開けて外へ捨ててしまう。きみこさんが気付く。夫が「どうした?」と訊くと「失禁した」と言う。普通に「おねしょ」でいいやん。おしっこぐらい、失敗するよ。
 夕方になるとそわそわする。おやつの入ったお皿をどこに隠そうかと探し、引き出しを開けたりしている。ばあちゃんと同じだ。
 きみこさんの姉妹が来て「やっぱり進行してるね」と言う。「茨城の方言で『かんちゃん』という語がある。『かわいい子』という意味で、おばあちゃんは子供のころにそう呼ばれていた。かわいがられていた何よりの証拠」
 布団で泣いているおばあちゃんに「かんちゃん」と呼んでみる。「誰?あんた?どうして私を知ってるの?」という返事。「どうして泣いてるの?」と訊いてみると「このごろ、とっても、変なの。何をやっても、わからなくて」と言う。「不安なの?」と訊くと「そう、不安なの」と答える。きみこさんは「大丈夫よ、かんちゃん。私、そばにいるから」と言うと安心したみたい。ばあちゃんだって「どないしたらええのんやろ?な〜んにもわからしまへん」と言うが「大丈夫。安心して」と言っても、安心しないもんね。ますます泥沼に入り込んでいく。つまり、きみこさんのお母さんはまだましな状態にいる。
 このころから、きみこさんの対応が変わっている。夜に「行きます。お父さんのすすめるお見合いだから」と言うお母さんに「今夜はもう列車ないから、明日の朝、行きましょう」と止める。
 孫が「誰?かんちゃんって」と訊くときみこさんは「おばあちゃんの中のもう一人のおばあちゃん」と言う。孫が「お母さん、このごろ怒らないね」と言うと「どうでもよくなったの。おばあちゃんはひとりの人間なの。あんたたちのおばあちゃんや、私のお母さんである前に、ひとりの人間なの。その人に出会ったと思えばいいの」夫は「大丈夫か?無理するなよ」と優しくなっている。「大丈夫よ。ヘルパーも来るし、デイサービスにも行くし」あぁ、行っているのか。よかった、よかった。夫は「お前の負担は減ってないだろ?母さんはもうお前のそばでなくてもいいんじゃにのか?おまえはもうじゅうぶんやったよ」と言って施設のパンフレットを出してくる。すぐに入れるところって、高い有料老人ホームなどだ。特養は何百人待ちだもん。急には入れない。
 おばあちゃんは「奥さん、お財布なくして...どうしよう?ここの家賃、払えない...」と言う。と思うと「あら、洗濯物が...」と言いながら庭に出て「ものを大事にしないから...」とタオルの端を縫っている。
 また、居眠りをしているきみこさんに布団をかけてあげて「風邪ひくよ、きみこ。せっかちで働き者で、だんなさんのいないこんな時間に、ゆっくり休んでおくといいよ」と言う!!!すごい!こんなこと言う!きみこさん、感激「母さん」と言う。涙...まるでドラマ!あ、ドラマやった〜。いや、実話か?
 さてドラマも最後。おばあちゃんは「どうもありがとうございました。ここでもう大丈夫ですから」と言う。リュック姿のきみこさんは「そうですか?」おばあちゃんは「あそこの家で休みます」と言ってから、振り向いて「あなたもご一緒しません?」と誘う。きみこさんは「いいんですか?」と言いながらついて行く。「徘徊」なんかじゃなく、お母さんの心には「水戸へ帰る」という意図があり、それが一緒に歩くことで「ま、いいわ。ここで休もう」になっていく。きみこさんは「ねぇ、母さん」と呼びかけるが、母さんの怪訝な顔に「ねぇ、かんちゃん」と呼びなおす。「これからもずっと一緒にいようね」で、終わり。